2015年1月18日日曜日

書庫(2):竹山道雄「昭和の精神史」より

(…)東郷外相の『時代の一面』を読むと、このころ(引用者注:対米開戦決定の時期)の事情がいかに錯綜し、その間に責任者がいかに苦心したかが分るが、このことについては本人の記述よりも、ローリング判事の研究を紹介しようと思う。(13.開戦)
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(…)その次に会ったとき、氏(引用者注:ローリング判事)は握手もすむかすまないかのうちに、いきなり私にこうたずねた。
「東郷をどう思うか?」
東郷外相が活躍した開戦のころには、詳しいことは何も報道されなかったのだから、私は「何もわからない」と答えた。
このときの話はそれきりになったが、あのときの氏の特別な身ごなしがまだ私の目に残っている。それは、困難な問題の解決の端緒をつかんだという意気込みだった、と思われる。(14.ローリング判事の少数意見)
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(…)帰国の前に、氏はその少数意見書を私にも一部くれた。この意見書の中には、私が氏にむかっていった言葉が二つ入っている。それは「彼は魔法使いの弟子であった。自分が呼びだした霊共の力を抑えることができなくなったのである」また「もし外交官が戦時内閣に入ればそれは戦犯の連累であるという原則がうちたてられるなら、今後おこりうる戦争の際に、戦争終結のためにはたらく外交官はいなくなるだろう」というのである。(14.ローリング判事の少数意見)
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(…)ローリング判事は、畑、広田、木戸、重光、東郷の五人の被告は無罪であると主張している。
判事の意見書は、その大部分がこの主張のための論証である。(14.ローリング判事の少数意見)
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(…)ローリング判事は五人の無罪を主張して、それぞれの場合を検討しているが、いずれも複雑をきわめ機微をきわめて、あの困難の際に健闘した人々の姿は興味本位でいうのではないが小説よりも面白い。私にはこれが真実だったろうと思われ、この人々の窮状と苦心は真になみなみならぬものであり、心から感謝さるべきだと感じる。
その中で、もっともむつかしいのは東郷被告の場合である。これはぬきさしならぬ危機にあたっての、より小さき悪の二者択一の連続だった。その要旨を次に紹介する。
(以下の判事の判定は、これとは別に成立した東郷氏の『時代の一面』と符節を合せている。この本は、おそらく垂死の病床で書かれたからなのであろう、筆致に光彩を欠くところがあり、あまり読まれずにしまったが、当時の日本の状況と自分の立場を精細に記したものである。まことに、東郷氏は彼がなしうる一切をなしつくした)。(15.東郷被告の場合)
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(…)東郷の場合に決定的な問題は、彼が東条内閣に参加し、しかも開戦決定の際にこの内閣にとどまっていたということである。
東郷の申し分によれば、彼が東条内閣に入ったのは、全力をつくして太平洋戦争を防止するためであり、そのためには自分が最適任者であると考えたからだった。入閣の際にも、あるいはこの努力が失敗するかもしれないことを知っていたし、しかももし失敗した場合に辞任すれば国に大損害をあたえるであろうことも知っていた。何となれば、辞任は、かくてはじまった戦争が不可避であったことについて、意見の不一致があったことを示すことになるからである。もともと、入閣するためには東条の条件にしたがわなくてはならなかった。対米交渉には時間が区切られていた。すなわち、彼に課せられた選択は、閣外にとどまってより無能無気力な者に交渉をつづけさせるか、又はみずから入閣して失敗の場合にもとどまるか、であった。そして、とどまっていれば、さらに後になっても平和を探求する機会があった。
この申し立てが事実であると仮定したとき、問題は、酌量せらるべき罪が行われたか、それともいかなる罪も行われなかったか、ということになる。普通は前者を考えたくなる。しかし、国際関係の中における「平和に対する罪」という特別な観点からいえば、問題なく後者である。このような場合に入閣することは、(あるいはもっと一般的に平和の機会をとらえるためにはたらくことは)、もしその人がそれをなす資格があるときには国際的な義務である。もし開戦的傾向の内閣に入ること自体が法によって罪であるということであるならば、その法は非現実的な非実際的なものである。この法(引用者注:原文は「方」であるのを「法」と改める)は、平和の保持と促進という自分の目的をこわしてしまう。平和を探求することは、平和に対する罪ではない。もし平和探求のために入閣をし、その避けがたき結果として開戦決定にしたがったのなら、その人は攻撃的意図をもった者として糾弾されることはできない。
東郷の場合はまことにデリケートである。検事は、被告が日本の立場を弁護し、過去に侵略があったことを否定し、軍の行為を是認した証拠を示している。また、東郷は、開戦後に議会でこの戦争の正当性を説いている。しかし、政治家の公開の発言を判断するには注意しなくてはならない。平和を意図しながら戦争を口にするかもしれないし、戦争を意図しながら平和をいいたてるかもしれない。
(…)
しかし、東郷の申し立てを信ぜしむるに足る、十分の証拠がある。被告東郷は攻撃戦争を主動し行ったという訴因から免ぜられるべきである。
(15.東郷被告の場合)

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(…)その後、東郷はふたたび鈴木戦時内閣に入った。鈴木の証言によれば、彼は東郷が最初から戦争反対であったのを感じていたから、それで入閣を懇請したのだった。
(…)
重光の場合に論じたのと同じく、戦争終結の意図をもって戦時内閣に入った故をもって、戦争責任を課することはできない。この人は酌量せらるべき罪を犯したのではなく、むしろ反対に、国際的義務を果たしたのである。
以上の理由により、東郷茂徳は一切の訴因を免ぜらるべきである。
(15.東郷被告の場合)

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