2015年4月19日日曜日

書庫(33):東郷茂徳「戯曲マリア・スチュアルト評論」より

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注目すべきは、シルレルが史実を増減して此作をなせど、歴史上の人物の性格を変更することなきにあり。 是れ史劇作者の一考に値するものとなす。 凡そ史実を資料として戯曲を作る所以は如何にと云ふに、当時の世界を明かにせんが為にあらず、 史的発展の隠微を披かんとする為にもあらず、只歴史を依信する力は吾人をして史実より取れる劇中の事件が実らしきと考へしむるに都合よければなり。 是れ事実をそのままに写さんとする歴史家と、史劇家の任務を異にする所以なり。 是れ已にレッシングが『ハンブルギッシュ・ドラマツルギー』に於て明解に論ぜし所なり。 然して歴史中の人物の性格を変更することは、此実らしき念を起すに大なる阻礙となり、史劇に於ける史実採用の目的に背く。 されば如此事は宜しく作劇者の避く可き処とす。之に反して、史上に於ける各個の出来事は、必ずしも詩的要求に従ひて発展するものにあらず。 左れば此等の事実を劇中の所作として用ゐる場合には、其人物の性格を変ぜざる限りに於て、幾分の攝捨を加ふるは必要のことにして、 又正当の事とす。シルレルが此用意は、レッシングに得たることを疑ふ可らず。
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注意すべきは、主人公マリア(メリー・スチュアート)がダーンレー(先夫)を殺せしやう仕組みしことなり。 若き血潮に満ちて、夫の暴虐に快からず、他に心を迷はす情人あり、然かも幼時より軽薄なる生活に慣れて、 貞操の観念に乏しき女王が悪くき夫を殺すに至りしことは、詩人ならでも考へ及ぶ所なるが、此処にて研究すべきは、 此罪悪が戯曲全般に及ぼす影響なり。マリアの此罪悪に対する悔悟が如何に痛切にして、如何に自然らしく、 其心理的経路を残りなく描き出したるかは、後に詳述すべけれど、吾人はここに良心に苦しむマリアの心情が荘重なる悲壮美を表はし、 又此れを懺悔し光風霽月の別天地に遊ぶが如き心情は最高の壮美を表はすことを言ひ、 此等の動機となるべきマリアの罪悪を執り来りたるシルレルの霊腕を賛美せんとす。 かくシルレルはマリアのダーンレーに対する罪悪を以て、悲壮の美を構成せしが、 一面にはエリザベット(エリザベス一世)に対する陰謀を心底より否定せしめ、ここにエリザベットの不正を悪くむと共に、 マリアに対する同情の念を盛んならしめたり。此れ亦史上に判明せざる事実を断定して用ひたるものにして、 不正の呵責に苦しみ、正義の憤怒に充てる女王の境遇は、吾人の感情を動かすこと大なりとす。
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マリアが自己の頭上に落ち来るあらゆる苦病を以て罪悪に対する呵責と見做したる道義的態度と、 自己の死が冤罪に出づるとの自覚は、現世を軽くし、死を歓迎せしむるに至り、苦悶霧散、風月従容として死につかしめしなり。 マリアはかくして苦悶を折伏し、エリザベットを折伏し、現世をも折伏して、永へに無限の自由を得たり。 実に悲壮の真面目を発揮せるものと言ふべし。マリア自白して曰く、『最終の運命は敗壊せる人間をも高尚ならしむ』と。 シルレルが史実を離れ、臨終のマリアをして喪服の代りに純潔の白衣を纏ひ、勝利の王冠を戴かしめしことは、甚だ興味あることなり。 (…)

書庫(32):片山正雄『男女と天才』序(東郷青楓)より

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孤村片山先生静読多年、徐ろに立ちて文壇に為さんとす。 近者已に筆を評論に逞くし、精察透徹、今又此好訳あり。意気壮なりと謂ふべし。 然りと雖此事先生該博の識を以てす、亦易々ならんのみ。 予の望まんとする所更に大なる者あり。当今の文壇正に混沌暗澹、一の先覚なく、一の大光明なし。 由来為す可き事尠しとせず。創作可なり、評論亦可なり。急転直下、文芸の根底に向って炬火を投ぜよ。 本書に序して華々しき首途を祝したる予は、他日文壇の大光明として、先生を謳歌するの光栄を有せんと希ふものなり。

架空の視線による巡礼(8):鹿島の森(軽井沢)

2015年4月12日日曜日

書庫(31):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月二十五日、エヂへ

梅雨明けの獄屋の庭に一本の樫の若葉の照り光る見ゆ

夏の日の輝き照らす白壁の間(と)に生ふる杉に風静かなり

夏の日の傾かぬ間に夕食了(お)へ獨し居れば心静けし

夏の夕獄屋にありて偲ぶかな久爾の木立にかかれる月を

夏の朝澁谷を越へて眺めたる富士すがたのめでたかりしも

鳴るかみは世にも怒るものあるが如とおどろおどろと夜な夜なに鳴る

獄庭のヒマラヤ杉の下枝は雷雨につれて鬼女の如と舞ふ

2015年4月9日木曜日

書庫(30):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月十九日、イセに

梅雨は晴れ熱の氣の空に充つ狭心症状亦頻りなり(七月八日)

三年前空襲來を叫びたる声も聞きたり今日のラヂオに(七月十三日)

久し振りラヂオに聞く童謡に過(い)にし信濃の住居偲びぬ

外を見よ此のさばきもて戰さをぞ無くし得べしとはかなきのぞみ

我國の爲めとしあれば苦しみも堪えて忍ばむひた苦しとも

苦しみも恥も身にしめて忍ぶべし我國民の爲めなりとせば

すめろぎに凡てを捧げまつらむと定めし心今も揺がず

世の中の有爲転変は定めなりかまへてこれにこだわらぬぞよき

2015年4月5日日曜日

架空の視線による巡礼(7):外務省

書庫(29):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月十一日、エヂへ

何か斯う胸のすくやうな事ほしと若き心の猶もひろめる

三とせ経ぬB29は翼つらね我帝都を無差別に燒きぬ

今一度児供となりて萬象の其儘の印象受けて見まほし

東洋の運命を負ふ民族は正義に強く慈悲深くあれ

顧れば不要の書(ふみ)を多く讀み讀むべきものを讀み足らざりき

よき人の魂(たま)に觸れつゝ梅雨の日を書(ふみ)讀むことのいかに樂しき

世の人の迷路の動きにさも似たり今日今頃の降りみ降らずみ

獄庭のヒマラヤ杉の下に生ふるあぢさいの花に梅雨降りそそぐ

牆屏(ついじ)高き巣鴨の館夏の日も蚊なくのみなく食ひ物もよし

氣をそゝる音頭噺(はやし)に監獄も祇園祭の前夜の如し

あぢさいの色あゑかなり監獄の庭の梅雨の晴れ間に

喪にし居る女のすすり泣くが如と獄庭の杉に梅雨降りそそぐ

夏來ればいつしも思ふ高原の澄みたる空に靜けき木立

政(まつり)事のまことの筋道しりもせで戰の罪のさばきせむとは

軍を押へ敗戰を收むるの困難は命のいらぬもののみぞ知る

戰爭の終始をたゞに默(もだ)りたる徒輩の多くが今我世顔する

戰ひを阻止する爲世界一努めにあるは神ぞしろしめす

われこそは國の良心と期せしもの囚はれとなりて猶も変わらず

世の中は愚者も賢者も降り殘し只悠然と進み行くなり

世の爲めと思ひてなせる業なるに人の悩みを見るぞ苦しき

世の中は己が限りを盡してぞ心ゆたかに過さむぞよき

戰ひは敗けはせずと言ひ張りし軍部其の他の無智のいみじき

我(が)にもがく近代の人なればこそ我を捨つることのいみじからんに

我國の無我の教へは貴としも外國(とつくに)人はしらんともせず