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2015年8月9日日曜日

書庫(58):東郷茂徳「時代の一面 大戦外交の手記」より

 蘇聯大使との会見
 その間九日に在東京「ソ」聯大使「マリク」から面会したい旨の申し出があったから、 自分は連絡会議で同日は面会出来ないから急用であったら次官に面会するように返事させたが、 十日でよろしいとのことであったので、同日にこれを引見した。 「ソ」聯大使は本日政府の命により宣戦通告を伝達するとのことであったから、 自分はこれを聴取した後、蘇聯と日本との間に中立条約がなお有効であることを指摘した上に、 日本から和平の斡旋を求められ、未だ確たる回答をしない間に宣戦する不都合を責め、 かつその理由とする日本が英米支三国共同宣言を拒否せりとの点につき、 日本政府に確かめる方法を採らなかったことの不当なるを述べ、 更に「ソ」聯の態度は後日歴史の批判を受くべきものだと云ったが、 彼は「ソ」聯の行動はなんら間違いないはずだとの趣旨を、抽象的の言葉で述べ立てるだけで更に要領を得なかった。 引続き自分は、日本政府の「ポツダム」宣言受諾に関する通告につき説明を加え、 「ソ」聯政府への伝達方を求めた。


「第三部 太平洋戦争勃発後」
「第六章 ポツダム宣言受諾と終戦直後」より

書庫(57):東郷茂徳「時代の一面 大戦外交の手記」より

 蘇聯の対日参戦
 然るに翌九日未明に外務省「ラジオ」室からの電話によって蘇聯が日本に宣戦し、満州に進撃したことを知った。 即ち八日午後十一時、佐藤大使が「モロトフ」委員に面会したときに宣戦の通報を受けたのであるが、 その会談、従って宣戦通告の電報は遂に東京には到着しなかったのである。 自分は早朝総理を訪ねて「ソ」聯参戦の次第を伝え、急速戦争終結を断行するの必要あることを述べたが、 総理もこれに同意したので、同席していた迫水書記官長から大至急戦争指導会議構成員を召集することに手筈を定めた。
 外務省への途次海軍省に米内海相を訪ねて、総理へ説いたのと同様のことを述べたが、 更に同省にて邂逅したる高松宮に対しても成行を説明して、直ちに「ポツダム」宣言を受諾することの必要を述べたが、 殿下は領土の点につきて何とかならぬだろうかとの御話があったから、 その点に就ても考慮して来たので方法があったらなお何とかしたいのですが、 今日となっては恐らく致し方ないと思いますと云って退下した。


「第三部 太平洋戦争勃発後」
「第六章 ポツダム宣言受諾と終戦直後」より

2015年7月18日土曜日

書庫(49):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(II)より

 昭和二十三年四月二十二日
二とせは戦ひのせとに押して来ぬさばきの趣旨はこれいかならむ

 鈴木貫太郎大将数日前逝き、米内大将亦昨日遠逝の由、終戦の際を偲ぶ
民族の亡びぬ為ぞとのたまひしみ声は今に著しかも

 本日は天長節也。起訴状の発せられたるより二年目也
太平洋潮ひ潮満ち時来べし力落すな大和民族

邦家再健の曙光を認め我れ死なむ道遠くとも健やかにして

 六月二日
出来る丈おのが自由の欲しきかなせめて読書に且つは思索に

 十月三十一日
冬は来ぬ麻布の児等はいかならん巣鴨の住居寒けきものを

 廿三年十一月判決以降
たわいなき判決はありぬ二十年いつの時にか此年期明けむ

年の瀬を幾度こゝに過すべきか家なる児等をかけて忍びつ

いざ神のさばきに身をば委ねなん彼等の裁きたよりなければ

現し身はたわいなき身なり従容と死に就にしこそいともめでたし

黙々と死に就きたるぞいともよし物言ふことのしるしなければ

判決のありたる後も敵人に頭を下げて乞はむとは思はじ

 母上五年祭に
四年間移り変りのはげしきも母見まさぬにやゝ安らけし

年の瀬に年内のこと皆浮び来ぬ試練の年よよくぞ過ぎ行く

年の瀬に為すこともなし巣鴨にて只諦めの心哀しく

来む年に為すべきことの目途無きも唯世の為に生くべしと思ふ

冬の朝巣鴨の庭の片隅に椿三輪紅に咲く

現し世の毀誉褒貶はたよりなしわれ一筋に我道行かむ

 昭和廿四年一月四日
読み話しいねてし居ればいつしかに日一日と過ぎて行くなり

 一月七日
行く先に望みの光り見ればこそ囚屋の闇はわびしかるとも
 一月十日
我心痛みて止まず世の人のなべて憂に生きてしあれば

 一月十二日
十年余り火水の中を渉り来ぬ妥協の港に憩(やす)らいもせで

 一月十二日
世の中のかゝらはしさに飽き果てぬ心靜かに死にて行かなむ

 一月十四日
此人等国を指導せしかと思ふ時型の小きに驚き果てぬ

 一月十四日
唯一つ妥協したるがくやしくも其後のまがつみ凡てはこれに

 一月十四日
此人等妥協を旨と心得て風を避けつゝ波に押されつ

 一月十四日
此人等信念もなく理想なし唯熱に附するの徒輩なるのみ

 一月十五日
病ひへの抵抗力の失せぬるか嵐来らばひたと仆れむ

 一月十五日
これよりはせんすべをなみ唯真理探究者として世を終へむのみ

 一月二十四日
冬の日を病める独房の窓に鳴く雀の声は嬉しかりけり

 三月十九日
常なくもうれしかりけり山離かる空の浮雲朝日に匂ふ

 三月下旬
巣鴨なる樫の小枝に新芽立ち降りし小雨に心和めり

 四月十三日
人の世は奇しくもあるか幾度も生死に境し遂に死せず

 四月十三日、軽井沢庭の桜を偲びて
高原の樅に混らふ桜花月靄に浮び常春の里

 四月十五日
春の風獄の狭庭に立つ我れの白き鬚先撫でて吹き行く

 四月十五日
書(ふみ)を読み道を守りて独り居の楽しき心三年経にけり

 四月十五日
日一日なべて佳き日と暮しなば楽土と思ゆ囚屋なりとも

 五月七日
偽りのなき世なりせばいか計り人の言の葉嬉しからまし

 五月七日
かく計り憂きすおもひし人が世に何か我身に生れきにけむ

 六月二十一日、本城氏への返歌として
降りよどみはてしもしらぬと思ほえし五月雨晴れて大空光る

 五月雨に続く暑さの其後の涼しき秋の光りをぞ待つ

 七月三十一日
夏雲の立ちたる彼方麻布なる我家のほとり夕焼けにして

 九月四日
放しやらぬ人のつらさを情にて朝な夕なに書(ふみ)に読み入る

冬されば青桐銀杏落葉して囚屋の庭に霜柱五寸

病院によろずの病ひ見てしより病なき身を有難しとぞ思ふ

 昭和二十五年一月二十八日
君の為め世の為めの業(こと)は成し遂げぬ今は死してもさらに惜まじ

 一月二十八日
死を賭して三つ仕遂げし仕事あり我も死してよきかと思ふ

 一月二十八日
むらむらと望郷の念ぞ湧く日なり天の白雲見ればかなしも

 一月三十一日、終戦后唯紺碧の空なつかし
宮城は見しこともあらず墟(あと)空し唯祥光のさわに立つ見ゆ

 三月十五日
今一つ仕遂げたきことなり出でぬ我が世の欲の重なるものか

 三月十六日
わびし世を誰れに語らんよしもなし波に浮べる水鳥のごと

 三月十六日
国力を消耗せしが惜しかりき未曾有の働きせしにはあれど

 三月十七日
真面目なる動きに我は冠たりきそれのみにて今もよしと思へり

 四月四日
この夜またあまたの所刑あるといふ雲たれこめて春寒き夕

 四月二十七日
こどもらのよきたより聞きてセメントの冷き室にも熟睡(うまい)せるかも

2015年7月13日月曜日

書庫(48):東郷茂徳「時代の一面 大戦外交の手記」より

戦争に就て
 戦争に就ては論ずべきことが極めて多く、戦争の原因を社会的諸条件のみに帰せしむるものか、 また個人的原因がその要件なりとせば、意思の自由との関係はどうか。 自由意思とは正義の観念と同じく人類の発育せしめたもの、正確に云えば発育の途上にあるものではないか、 などの社会学的以上哲学的範囲に入りての検討が必要となる。 また従来国際法の一原則であった内政不干渉と思想戦との関係も考察に値する。 殊に全体主義と民主主義、共産主義と資本主義の戦いと云うが如き、充分の考究を要するものである。 しかし本書でも後にこれら一般問題に論究することになるかも知れないから、 ここではなるべく簡単に戦争に関する、二、三の事項に限定して述べたいと思う。
 第一に戦争の起因は各時代により異なることであるが、近世期に於ては個人的欲望によることは甚だ稀で、 そのほとんど全部が国家主権の確立および資本主義経済の発達に伴うものであった。 植民地獲得およびこれに伴生した各国間の戦争が主なるもので、 原料の獲得および市場の確保を目的とするものが多かった。 いずれも経済的原因を主とするもので、最近に於ける高度資本主義発達の必然的結果とも云うべきものであり、 各国の経済的競争によるものであった。かくの如き戦争が絶えず発生し、かつ科学の進歩と共に 戦争が大規模となる傾向にあるため、これが発生を阻止せんとする企てが一方には台頭した。 紛争がある場合、仲裁裁判によりてこれを解決し、戦争の発生を防止する方法も企てられたが、 総括的仲裁裁判を受諾する国が少ないので余り効果は挙らなかった。 また不戦条約の如き条約を以てするの方法であるが、成立当初から自衛の場合は除外すると云う抜け穴があった。 国際連盟その他の集団的保障によって相手国に制裁を加え、また攻守同盟によって相手国に対する戦争に参加するなどの方法により、 戦争を防止するに資せんとしたが、或いは有効ならざるかまたはかえって戦争を激成することになった。 勢力の均衡による戦争防止もまた同様であって、実際的にこれを防止するの方法がなかった。
 これに反し現代に於ても戦争防止の効果を阻止するものが少なくない。 各国自己に都合よき主張の下に軍備縮小に反対せるものその一つであり、各国間に猜忌を逞しくし、 ただ武力を以て自己を防衛せんとする思想が、最近ますます盛んとなったことも挙げなくてはならぬ。 なお世界の領域が確定したるに伴い、持てる国々が自己の利益を擁護するに急にして、 持たざるものの立場を顧慮せず、従って不平等或いは不当となりたる条約の改訂もなんら事実上は行われざりしことも、 戦争勃発の止むなき原因となった一つである。 更に近代国家の成立と共に国家主権が高調せられた結果、自国主権の制限を好まず、自衛権の範囲の如きも、 各国凡て自らこれを決定するの権能あることが国際法の一原則であった。 なおまた最近、一国の自衛は防衛が最有効なる土地および時に及ぶとの思想が、 米国の如き最も強大なる国により唱道せらるることとなったために、 一国の凡ての行動を自衛の範囲内にありと説明し得る範を示すことになって、 戦争防止を阻害する大原因となった。 他方最近戦争が全体的形態となったため、所謂戦略物資の範囲が無限に拡大したことが、 「ヒトラー」の電撃作戦の実施と相俟ちて、国際法の遵守を困難ならしめたのも注目すべきである。
 従って、第一次世界大戦に於ては、「戦争を終熄せしむるための戦争」との標語を以て戦ったに拘らず、 忽ちにして第二次大戦となり、この戦争に於ては各国共によりよき世界の出現を望んだが、 未だ講和条約さえ成立せぬ間に冷たき戦争に入り、第三次世界戦争の勃発が呼号せらるる世の中である。 されば戦争の絶滅には、戦争の起因につき更に熱心に更に良心的検討を加え、 各国が今以上に自利心を放棄して真に独立和衷の途に進まざる限り、 平和の維持は不可能であると云わなくてはならない実状である。 これ釈迦、耶蘇、孔子等の如き人類の先覚者が平和の念に目覚めて以来漸く二千年を以て数えるのであり、 人類の起源に較べても余りに短き期間であるから、人類の協力、各国の和衷というが如き境涯に到達するには、 なお若干の歳月を要するのも無理からぬことではあるが、原子爆弾の如き最も非人道的武器が、 単に戦争の終期を早からしむると云う理由により既に使用せられ、更にまた水素爆弾の如き更に威力あるものも 使用せられんとするのであるから、世界の人士は単に戦争防止の形式的方面にのみ囚われず、 その真因につき速かに方法を講ずる必要が認めらるるのである。
 なおこの点につき一言すべきは、真に平和を欲求する場合には身を以ても戦わなくてはならぬことである。 一事件につき傍観者の地位に立ちて、事件経過後自分が平和を冀求したことを述べても無意義である。 また自分を危害のない地位に置きながら、演説または電報を以て平和的意向を表示するのは安易に過ぎる。 真に平和を欲するものは凡ての機会を利用して輿論の喚起に、または平和攪乱者との戦いに危害を冒しても進むの慨がなくてはならぬ。 殊に時勢の流れが凄じき奔りを見せている際に、左右枝悟または前後矛盾する行動に出るが如きは以ての外のことであるが、 東西とも所謂政治家と称するものには類が少なくない。 なおまたこの点は国際間の交渉にも適用を見るのである。 一国がある交渉に於て平和的意図を高調しても、具体的交渉条件につき徹頭徹尾自己の主張を固守し、 いささかの譲歩すら為さずとせば、相手方に全面的屈服を求むることは、 案件の性質如何を問わず真に平和を希求する態度とは云えない。蓋し交渉は普通の場合「ギヴ・アンド・テイク」であるからである。

「第二部 太平洋戦争勃発まで」
「第三章 日米交渉の歴史的背景」より

2015年7月11日土曜日

書庫(45):東郷茂徳「時代の一面 大戦外交の手記」より


予の根本思想
 右意見書を通ずる予の根本思想は国際信義、条約の神聖、平和的紛争処理であるが、 いずれの国いずれの時と雖もその衰微を防ぐには不断の変化と発達を要するので 保守停滞は禁物であるが、しかし一時代の推移も一国隆盛も余りに急激なる速度を以てするは好ましからずとするにあった。 この思想は本意見書の表面上にも到るところに現れており、 国家的交際も個人的交際と同じく信義を緊要とすとの思想と相並んで国家の秩序ある進歩を希求しているのである。 即ち一時眩惑的成功を来しても右には充分の根底を欠くことが多いから、 間もなく逆転することになったのは史上の例に乏しくない。 革命に於てさえその実例は枚挙に遑ないのである。 なおこの点を掘り下げて文明史的考察を下すなれば、人類の科学的、物質的進歩は最近顕著なるものがあるが、 精神的進歩はこれに伴わない。されば社会的変革の如きもその速度を按じ、社会の道徳性の向上と歩調を一にするに非ざれば諸変革も成功せざるか、 または一時成功せるが如く見えても逆転することが多い。 されば時代を推進する場合も一国の興隆を計る場合にも徐々に堅実なる方法を以てするを最上の策として推薦したのである。 右意見書を起草して以来十五年を閲して一昨々年、東京裁判に際し再読したのであるが、 その後に於ける対支対英米関係は予の杞憂せる如き悪化を来し、 軍縮問題による悪影響も正に予の予見した通りとなって、 遂には騎虎の勢いを以て太平洋戦争の勃発を見るに至ったのは誠に遺憾に堪えぬ次第である。


「第一部 第一次世界大戦より第二次世界大戦まで」
「第八章 欧米局長時代」より

2015年6月21日日曜日

書庫(38):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:昭和二十三年二月二十三日付池田俊彦宛書簡所収

不二に入る夕日の如くあかあかと燃し盡さむ殘る命を

ひたすらに道の光をおろがみて進み來し身のたじろぎはせじ

書庫(37):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より

巨船(おおふね)の沈める後もわだつみは潮干潮滿ち其儘に行く

六十路過ぎ宇宙の姿ひたと見つ愛は進歩の大筋なるぞ

賤やしづしづの小田巻繰り返し同じを生くる更に厭はず

秋の日の清き光りに現し身も塵一つだに留めぬ思ひす

秋の日の澄み渡りたる大空に如來の姿と寫りやもする

休廷后春秋逝きてもきまりかぬむりの裁きの故とこそしれ

「テヘラン」の會合前に我計の行はれしならばと只歎くのみ
(「テヘラン」「ヤルータ」会議に関するホプキンスの手記を読みて)

月淸く薩摩濱邊に友つどい幼な昔を盡きずに語る

城山の崖にかゝりし櫻花あだに匂ひて眺めて飽かぬ

菊の花の咲きつらねたる見晴らしに舞ふや告天鳥(ひばり)の我を忘れて

箱庭に立てる篠のゝ月影に動くすがたのらうたけきかな

夕野の月夜を淸み梅の花小峯の宿に匂ひ渡りつ

つゆ晴れの月夜に咲ける藤の花吹き來る風に水の面に舞ふ

我庭の小隅に咲ける桃の花紅(くれない)匂ひ照りて輝く

颱風の去りたる朝の靜かけくさやけき光り天地に滿つ(九月十七日)

滿天の星を眺めて天地の無限の力をおろがみてあり

世の動き運賦と見べきこと多し末(すゑ)の定めに心騒がず(個人と大衆の関係につき)

冬は來ぬ麻布の児等はまさけくや巣鴨の住居寒さ身に沁み

2015年6月20日土曜日

書庫(36):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より

天日を貫く誠はとこしへに滅びぬものを何にか思はん

己れ我れ神になりたる氣持もて世の人々にゆるやかぞあれ

(九月以降の分)
人の世は風に動ける波の如と其わたつみの底は動かじ

世の事は聴きもほりすれわれに世を動かす自由ありたればこそ

我はこゝに慎み居れり但しこれ御國に對するものとこそ知れ

人の世は岩に碎くる水泡(みなは)なれ其の元河(もとかわ)は流れて息まず

世の人の多くは旅路の伴(つ)れなれや朝(あした)に語りて夕に別る

丈夫の力の限り盡し來ぬ獄屋の夜を靜かに眠る

危かる命を各(おの)は生き堪えぬさらによき世にあはざらめやも

時折は高嶺の上に獨り居り眠れる下界を見渡す心地す

鐵窓に來觸る風のさやけきに秋の風の動くを知りぬ

朝毎に空のさやけさ加はりぬ秋の心の動くなるべし

あぢさいの花を見しのち花を見ず秋の野原を只偲ぶのみ

眞心が政事にも行きわたる來らん世こそ待ち遠しかな

神代より黒潮の香に洗われし笠さごの岩神さびて立つ

薩摩瀉黒潮寄する潮の香にますら丈夫は健(たけ)くこそあれ

厄日前頻りに動く雨雲の世界のさまにさもよく似たり

秋雲のとく動くには非ずして人の心の騒ぐなりけり

高原のさやかに澄める秋空の雲の心にわれよく似たり

秋の日の澄める心の深みつゝ憂國の思ひなどかしげしき

運命の逆立つ波を漕ぎ抜けて人の自信は潮(しほ)滿つがごと

2015年6月14日日曜日

書庫(35):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:八月九日、エヂへ

こゝにありてい蒸し暑さの時折は山の住居を偲びつるかも

ここの夏涼しき雨の降る時は山家のストーブ眼交いに見る

夕立に庭に水溜め芝舟を浮べて遊びし頃をしぞ念ふ

獄庭に蝉は來鳴けりあさっては立秋なりとぞ時は動きて

三とせ來世の事凡てよくならず人の進歩のさも難きかな

世の人よ政治は天下の爲めなるぞ私心を捨てよ眞心を持て

三とせ前原子爆弾投下さる世界歴史に特筆すべし(八月六日)

弓矢もて殺すはわろし鐵砲しよしと言ふごと原子爆弾は

書庫(34):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:八月二日、イセへ

入歯して一とせ経しも今も猶我歯とは思へず不自由多し

たまさかによき人に遭ひもろもろを語りしことのいとも嬉しき

2015年4月12日日曜日

書庫(31):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月二十五日、エヂへ

梅雨明けの獄屋の庭に一本の樫の若葉の照り光る見ゆ

夏の日の輝き照らす白壁の間(と)に生ふる杉に風静かなり

夏の日の傾かぬ間に夕食了(お)へ獨し居れば心静けし

夏の夕獄屋にありて偲ぶかな久爾の木立にかかれる月を

夏の朝澁谷を越へて眺めたる富士すがたのめでたかりしも

鳴るかみは世にも怒るものあるが如とおどろおどろと夜な夜なに鳴る

獄庭のヒマラヤ杉の下枝は雷雨につれて鬼女の如と舞ふ

2015年4月9日木曜日

書庫(30):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月十九日、イセに

梅雨は晴れ熱の氣の空に充つ狭心症状亦頻りなり(七月八日)

三年前空襲來を叫びたる声も聞きたり今日のラヂオに(七月十三日)

久し振りラヂオに聞く童謡に過(い)にし信濃の住居偲びぬ

外を見よ此のさばきもて戰さをぞ無くし得べしとはかなきのぞみ

我國の爲めとしあれば苦しみも堪えて忍ばむひた苦しとも

苦しみも恥も身にしめて忍ぶべし我國民の爲めなりとせば

すめろぎに凡てを捧げまつらむと定めし心今も揺がず

世の中の有爲転変は定めなりかまへてこれにこだわらぬぞよき

2015年4月5日日曜日

書庫(29):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月十一日、エヂへ

何か斯う胸のすくやうな事ほしと若き心の猶もひろめる

三とせ経ぬB29は翼つらね我帝都を無差別に燒きぬ

今一度児供となりて萬象の其儘の印象受けて見まほし

東洋の運命を負ふ民族は正義に強く慈悲深くあれ

顧れば不要の書(ふみ)を多く讀み讀むべきものを讀み足らざりき

よき人の魂(たま)に觸れつゝ梅雨の日を書(ふみ)讀むことのいかに樂しき

世の人の迷路の動きにさも似たり今日今頃の降りみ降らずみ

獄庭のヒマラヤ杉の下に生ふるあぢさいの花に梅雨降りそそぐ

牆屏(ついじ)高き巣鴨の館夏の日も蚊なくのみなく食ひ物もよし

氣をそゝる音頭噺(はやし)に監獄も祇園祭の前夜の如し

あぢさいの色あゑかなり監獄の庭の梅雨の晴れ間に

喪にし居る女のすすり泣くが如と獄庭の杉に梅雨降りそそぐ

夏來ればいつしも思ふ高原の澄みたる空に靜けき木立

政(まつり)事のまことの筋道しりもせで戰の罪のさばきせむとは

軍を押へ敗戰を收むるの困難は命のいらぬもののみぞ知る

戰爭の終始をたゞに默(もだ)りたる徒輩の多くが今我世顔する

戰ひを阻止する爲世界一努めにあるは神ぞしろしめす

われこそは國の良心と期せしもの囚はれとなりて猶も変わらず

世の中は愚者も賢者も降り殘し只悠然と進み行くなり

世の爲めと思ひてなせる業なるに人の悩みを見るぞ苦しき

世の中は己が限りを盡してぞ心ゆたかに過さむぞよき

戰ひは敗けはせずと言ひ張りし軍部其の他の無智のいみじき

我(が)にもがく近代の人なればこそ我を捨つることのいみじからんに

我國の無我の教へは貴としも外國(とつくに)人はしらんともせず

2015年3月28日土曜日

書庫(28):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(I)より:七月五日、イセへ

民族の意氣は何處ぞ挑みたる敵にわび言言はんとする(武人の米友に謝罪せる由聞きて)

詫びし了へ品物乞はん心なれや其さもしさ言ふに言はれず

六十路越し死ぬる覚悟の出來ありと誇りかに言ふ人のをかしき

2015年3月21日土曜日

書庫(27):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(Ⅰ)より:五月末より七月始に

來むとする凡てを避けず吾れはしも來るが侭に受取るものぞ

さもあれや人類の爲としあれば更に厭はず死の座につくも

百度(ももたび)も死にせしならむ既にわれ神の護りのなかりしなれば

獄卒の仕業如何にも意地わるし虫けらどもと思へばこそ

萬有は空っぽなるぞ汝れの身は水沫(みなは)に過ぎず慾を謹め

人の身は川瀬に浮ぶ水沫(みなは)なり其河水も流れて息まず

死の森はいとも靜けし魔の影ぞ之をみにくゝおそろしくする

我命十度も既に亡びたり神の護りのなかりしなれば

我命あぶなき事の多かりき神の護りのありたればこそ

鐡窓に磨硝子あり遠妻(家人)のしのばむ月も見えがてにして

梅雨の日に爲すこともなく暮らしつゝ思ひ出すことのさも多いかな

あな哀れ相互信頼の心無く唯協力を口ぐせにする

2015年3月8日日曜日

書庫(26):東郷茂徳『時代の一面』あとがき草稿(萩原延壽『東郷茂徳 伝記と解説』所収)

 終戦と共に我終生の事業は成し遂げたので、更に欲求する所は無い気持であつたが、 東久邇宮に外相就任を辞退した際に申述べた戦争犯罪人の問題が間もなく起つて来たので、 更に一波瀾を見ることになつた。本問題に関する決定及び独逸の実例をも承知して居るので、 本件に連座することになると豫想して居たが、果して九月、 終戦前からの病気を養ふて居た軽井沢で令状の発布があつたとの通知に接して帰京した。 病気の為暫時自宅療養を許されたが、一九四六年四月末日起訴状の送達を受けて、 五月一日巣鴨拘置所に拘禁された。裁判は五月三日以来開始せられ、 一九四八年十一月十二日全被告に対する判決の言渡しがあつた。 裁判の結果は自分達の申立ての多くが認められないので、六人の被告は絞首刑の宣告を受け、 多くの者が終身禁錮の重刑を課せられた。自分は禁錮二十年と言ふので、 獄裡に春秋を送つて居る訳である。
 人生の浮沈誠に期し難きものがあるが、凡ての事は暗黒面があると同時に光明面を有する。 此裁判に対する自分の気持は平かならざるものが尠くないのは当然であるが、自分の半生の事業については、 回想し且つ其幾分かは法廷を通して天下に明かにする機会を得ることになつたのは、 自分にしては寧ろ望外の幸であつた。なぜかなれば、若しかかる境遇にならなければ、 自分は左程深く過去を想ひ出すことがなく、又左程公に表現することがなかつただろうと思ふからである。
 自分が少壮年時代に孔子の教で教育され、巧言令色仁鮮しと言ふ風に寡言質実を旨とし、 又西郷南州に私淑した結果、誠意は自ら神明に通ずるので、宣伝も弁明も不必要であり、 凡て事を行うに人を相手にするやうでは駄目で、天を相手にすべきであるといふ風に育てられたので、 自分の為た事を吹聴せぬは勿論、弁明するのも男らしくないことになつて居たのである。 然るに裁判(東京裁判)となれば、弁明も弁論もしなくてはならぬことになつた訳で、宣誓口述書も作成するし、 証人台にも立つたのである。そして又そう言ふことが機因となり、習慣となつて、 ここに回想した所を書き陳ねて見やうとの気持になつたのであるから、 裁判が自分に与へた好都合の一つと言つてもいいだろうと思ふ。
 扨て書き陳ねるとしても、前の吹聴、弁明したくない傾向は今にも残つて居るので、前書きにも述べたやうに、 自叙伝とか回想録とかせずに、 自分が躰験又は見聞した所を文明史的見地から叙述したい意図の下に発足したのであつた。 然るに筆を進めて見ると、やはり自己中心の描寫となり、又時としては自己弁明にもなることになつた、 これは執筆開始後、一、二日本人の著作及び雑誌記事を閲覧する機会が到来したが、 その内に自分の行動に関係する部分があり、且つ誤謬を包蔵して居るものが多いので、 之を是正しやうと考へたのが一因である。自分の趣味からすれば、このやうな論難は不愉快であるが、 裁判にも一つ同様の経験があつたが、賣られた喧嘩は買はずばなるまいとの気持になつたことも事実である。 しかし自分の現下の境遇上、何時になつたら本書が公刊せられ得るのかの予想は更に有し得ないのであるから、 前記の弁解やら議論やらは出来る丈け控え目にしたやうな訳である。

2015年3月7日土曜日

書庫(25):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(Ⅰ)より:本條氏に

あな静か死生一如の坂越へて春の野原に暫したたずむ(野道に独り休息へり)

若き日の望みと過(い)にし現実のくひ違ひたるがいとおもしろし

朝な朝な憂き事の増す世の中と思ひ定めて暮らしきにけり

現し身は牢屋(ひとや)にあれど雄心は翼を高み天かけり行く

久方の大空照す御光に凡てが生り行くさまのめでたき

春過ぎて夏来にけらし世田ヶ谷の杉の木立ゆ雲立ち見ゆる

朝の内に朝顔の苗分ち植ゑ今日一日を心静かに

とりどりに咲きて出づべき花の園たまには遅るゝことのよろしき

書庫(24):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(Ⅰ)より:四月下旬より五月中旬迄に

わびしくも今日は暮らしつ天垂るゝ梅雨の日永を如何くらさむ(判決、六月末に延期せる由聞きて)

遠妻の夜寒に今は何にすらむ風邪をな引きぞ安らけくあれ

百萬の民衆の声高鳴りす強く雄々しく正しく進め(メーデー、宮城前にて)

春潮の満ち干に漂ふ船の如とせんすべなくに雄心失せし(五月五日)

いつもしも神とともにしあるからに淋しはあらじ光り身に満つ

2015年2月21日土曜日

書庫(23):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(Ⅰ)より:五月二日、文彦に

さればとて世に虚言(そらごと)の多いかな誤解と共に凶(まが)事つくる

そらごとを見破る機械出来もせば此世は余程住みよくならぬ

天下第一等の人ならばやと五十年余を行(ぎょう)じ来たりぬ

二とせを「ドッグ」に居ても天が下第一等を忘れかねたる

わだつみの水沫の如しもろもろの弱くはかなき人の力は

二とせの囚れの夕べ雨降りて空もとゞろに荒れてありにき

今日はしもさつきの光りみち足りて野の花さはに咲きて匂へり

2015年2月13日金曜日

書庫(20):東郷茂徳「時代の一面」附録の短歌(Ⅰ)より:五月十日、イセに

敷島の大和島根はとことわにしほひしほみちゆるぐことなし

(夢に)
み光は高千穂の嶺に降り立ちて大和島根をあかに照らしぬ

まな子たちわれ今行くもとことわに我は死にせず我れ活きてあり

梅の花咲きて散りなばさくら花つぎて咲くべし大和島根は

いざ児等よ戦ふ勿れ戦はば勝つべきものぞゆめな忘れそ

ゆとりある剣士は敵を誘ひて手出さしめたる后にこそ撃つ

手出さしむ術も自衛の為なりと現状維持の政治家は言ふ

春や来ぬ牢屋(ひとや)の庭の木の蔭に山吹の花咲きいでにけり

地に冩る影をのみ見て天の原大なる宇宙をふりさけ見ずや

地に充てる花も小鳥もいみじきや進化の跡をたどり探れば

天に星地には進化のすがた見て貴きものを感ぜずや君

いつもしも苦しみの果と思ふ時神の来りて救ひたまひぬ

軽薄な人間共がいやになりぬ生き物よりも石にも木にも