2015年7月11日土曜日

書庫(45):東郷茂徳「時代の一面 大戦外交の手記」より


予の根本思想
 右意見書を通ずる予の根本思想は国際信義、条約の神聖、平和的紛争処理であるが、 いずれの国いずれの時と雖もその衰微を防ぐには不断の変化と発達を要するので 保守停滞は禁物であるが、しかし一時代の推移も一国隆盛も余りに急激なる速度を以てするは好ましからずとするにあった。 この思想は本意見書の表面上にも到るところに現れており、 国家的交際も個人的交際と同じく信義を緊要とすとの思想と相並んで国家の秩序ある進歩を希求しているのである。 即ち一時眩惑的成功を来しても右には充分の根底を欠くことが多いから、 間もなく逆転することになったのは史上の例に乏しくない。 革命に於てさえその実例は枚挙に遑ないのである。 なおこの点を掘り下げて文明史的考察を下すなれば、人類の科学的、物質的進歩は最近顕著なるものがあるが、 精神的進歩はこれに伴わない。されば社会的変革の如きもその速度を按じ、社会の道徳性の向上と歩調を一にするに非ざれば諸変革も成功せざるか、 または一時成功せるが如く見えても逆転することが多い。 されば時代を推進する場合も一国の興隆を計る場合にも徐々に堅実なる方法を以てするを最上の策として推薦したのである。 右意見書を起草して以来十五年を閲して一昨々年、東京裁判に際し再読したのであるが、 その後に於ける対支対英米関係は予の杞憂せる如き悪化を来し、 軍縮問題による悪影響も正に予の予見した通りとなって、 遂には騎虎の勢いを以て太平洋戦争の勃発を見るに至ったのは誠に遺憾に堪えぬ次第である。


「第一部 第一次世界大戦より第二次世界大戦まで」
「第八章 欧米局長時代」より

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