2015年7月28日火曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(4)

(大井)それから第三は、昭和二十年五月十一、十二及十四日最高戦争指導会議構成員のみをもつて会議が開かれましたが、 その会議開催に至る経緯を説明して下さい。又その会議に於て審議されたこと及決定されたことを述べて下さい、 と言ふのですが、 その当時の書き物は或は外務大臣の起草されたものぢやないかと思はれるものがありましたので持つては居りますが。
(東郷)それは何処から手に入りましたか。
(大井)これは本当のものかどうか…。本当のものだらうと思ひますが、 外務省に持つて行つて見て貰ひましたがやはりよく分らないのです。 外務省からではなく軍令部から出て来たものです。 軍令部の書類の中にあつたのですが、その事情は恐らく斯うぢやないかと思ひます。 つまり及川大将が持つて居つたが、それが豊田大将に引継がれなかつた、 それでも一度外務省から豊田大将に外務大臣としてお渡しに成つたものと思ひますが、その辺はつきり分りません。
(東郷)一寸面白い問題だからお話しませう。 五月十一、十二と十四日に最高戦争指導会議の構成員丈けの会議を開くことになつたと言ふことが意味があることです。 その理由と言ふのは、私は以前戦争が始まる頃の連絡会議に出て居つたんです。 ところが連絡会議に於ては幹事の方で皆議案を準備して来る。 さうしてそこに来て説明するものは幹事なんです。 殊に外務省の方は僕がやつたことがあるけれども従て又討論の相当部分が幹事によつて行はれ、 その間に本当の構成員たるメンバーが議論をすると言ふ訳なんです。 それで話は構成員丈けの話とはならん訳です。 これは都合の良い時もあるけれども、不都合なことが多かつた。 殊に人が沢山になると、戦争と言ふことが中心になつてゐる問題が多いのだから、 強い方に話が傾くのは当然である。 又そこに出て居る幹事により会議の状況は全部下にも伝はる、さうすると部下を統御する関係上あまり弱いことは言へない。 個人的に話をして見るとさうでもない意見の人が、その場に出ると非常に強い意見を言ふと言ふ傾きがある。 それで本当に話を進めて行くには幹事を入れてはとても駄目だと言ふのが、その時得た私の感じだつた。 それで今度の会議は構成員だけと言ふことに私が仕組んだ訳です。 恰もその時は、戦争はもう沖縄の方も殆ど駄目だと言ふ訳で、 全般の大勢が非常に悪化してゐると言ふ時であつた。 陸軍の方からは私の所に参謀総長梅津大将が来、河辺次長も二度ばかり来て、 ソ聯が参戦しないやうに外交で処理して貰ひたいと言ふ話を持ち込んで来た。 その時の日本の国際情勢は全面的に悪化して、手のつけ様もない状態だつた。 それで僕は陸軍の両君に対してそれはむつかしい注文だ、戦時の外交は軍事情勢の推移によつて決つて行く訳だから、 もう少し日本が戦争に勝つやうにならなければ外交も何にも出来はしない。 それ所かソ聯に対しては手遅れであるから、既に米英との間に分前の分配まで相談してゐることも予想しなければならぬ。 それで戦争の方を勉強して欲しいと言ふことを言つた訳です。 海軍の方はそれ以上に不思議な訳で、ソ聯を日本の方に有利に誘導して欲しいといふ注文だつた。 それはソ聯の参戦防止だけでなく、ソ聯から日本に石油などを取り得るやうにして欲しいと言ふ。 これは軍令部の小沢次長其他が見えて「ソ」聯の石油、飛行機が欲しい其代り日本から巡洋艦をやつてもいいと言ふ。 これに対し自分は以ての外のことだと話した。 さう言ふものを供給するのは中立違反であるから、 ソ聯は日本の味方となつて戦ふ覚悟をする覚悟がなければ出来ないことだ、 戦局から見てもソ聯が日本の味方になつて戦ふ覚悟をすることは全然考へられないと僕は話したことがある。 併し向ふでは頻りに希望するので、それでは皆と一緒に話をする事にしようさうするには、先程も言つた通り、 幹事を入れては本当の話は出来ないから幹事をいれないで構成員丈けで話をしようぢやないかと言ふことを先づ梅津に話した訳です。 それは梅津も非常に賛成した。それで梅津に、阿南陸軍大臣に君の方から話をして呉れ、 総理と海軍大臣には僕が話すからと言つて手分けをして話した。 その話が纏まつて構成員だけの会議が開けることになつて、これがしまいまで非常に役に立つた。 第一はあの構成員の会議は終戦迄ずつと続けて居つたが、 この会議に於て忌憚のない話をして全般的に意見の一致を見ることが多かつた。 即ち戦争の終結と言ふことについての大体の気持は此会合で作ることが出来た。 第二は、ここでの話は下に洩れなかつた。洩れて居つたならばその間に非常な反対が起つて、 結局終戦の話はそのうちにこはれてしまつたかも知れない。 その危険を除去したと言ふ点に於てもこの組織は非常に役に立つた訳です。 その点で鈴木総理もそれから迫水君も頻りに此組織の有効であつたことを言つて居つたので、 迫水の手記かなんかにも出てゐるんぢやないでせうか。
(大井)この効果と言ふ風にはつきり分解したやうな書き方はして居りませんが、 これは色んな人が、その構成員のみをもつてする会議、と言ふ風に重視して取扱つてゐるやうに感じます。
(東郷)さう言ふ訳です。それからそれについて恰度その頃に、五月十四日頃でしたか、 これは一寸今誰だかはつきり思ひ出せないけれども及川君ぢやないかと思ひますが、 はつきり思ひ出せないので誰だつたと言ふことは止めて置きませうが、 軍部の一人から斯う和平の問題を議論すると言ふことが洩れては、下の者がだまつてはゐないと思ふ。 それでこの話は次長にも次官にも話さないことにしようぢやないかと言ふことを言ひ出した。 僕はそれは誠に結構だと早速賛成して、下に洩さないと言ふ約束をした。 それで和平の問題は外務省に於ても六月の末までは何人にも殆ど知らしてなかつたのです。 陸海軍でもさうだつたと見えて、 迫水君は軍務局長あたりから頻りに何か相談してゐるだらうと言ふことを言はれて困つたと言ふ話をして居たことがあります。 又私のところにも陸海軍の軍務局長は態々それを探りに来たことがあるんです。 併しその約束に従つて何にも言はなかつた。 兎に角これが役に立つことが分つた。 尚此会議を開くもう一つの私の本旨は、陸軍の方ではソ聯の参戦防止、 海軍の方ではソ聯の引入れを希望してゐるところから一般の和平機運の醸成と言ふことに導いて行きたかつたのである。 元来私の見るところでは、とても戦争は長くやつて行けない。 これは私が入閣する時に鈴木大将に対して入閣の条件にした訳なんだ。 この点は私の供述書に書いてあるから委しく話す必要もないが、鈴木大将は、まだ二、三年位戦争はやれるだらうと言ふので私は、 そんなに長く続ける訳には行きません。急速に和平をやらなければいかん、 本当に早くやると言ふ総理の気持がなければ入閣しても仕方がないことを述べたが、結局自分の意見に賛成すると言ふ諒解をとつて入閣した。 其様な訳で、自分は速に戦争を止めると言ふ考であつた訳で、 そのためには構成員だけの会議を開いて逐次和平の気持に持つて行く必要があると考へたのです。 若し和平の気持を政府及び統帥部の首脳部が十分持たず、 即十分その頭が練れないうちに突然和平の話に持つて行くと言ふことでは成立もむつかしい。 その事を尠くとも首脳部に於て十分に納得してからでないと結局は非常な騒ぎが起る。結局日本全体が騒ぎの渦巻の中にはいることになるので、 講和全般の成立を阻害することとならんとも限らない。それで全般的の話合、 全般的の気持を醸成して来ることが極めて必要だと言ふ根本的の考からこの構成員だけの会議を開いたと言ふ事情なんです。
この会議に於ては、さう言ふ成行きからもよく分るでせうが、先づ起つて来たのはソ聯に対する問題であつた。 陸軍で言ふソ聯の参戦防止、海軍の方のソ聯をして日本に好意的態度を持たしめるやう誘致する、 それに私の考へてゐる全部的和平と言ふ問題がこゝに持ち出された訳なんです。 その初めの日の話は、ソ聯はどの程度に於て利用し得るかと言ふ問題が討議の中心になつた訳です。 私は、ソ聯は軍事的経済的に利用し得る余地はないのだ、ソ聯を利用しようと思ふならば、 前から私はそのことは政府部内の人にも言つて居つたのだが、米英ソ三首脳者が会談しない前でなければ駄目だ、 あの三人が会つた後では日本がソ聯を利用すると言ふことは出来ない。 日本とソ聯との関係を全部的に調整することも、又ソ聯とドイツとの和平促進も三巨頭が会はない前にやらなければいけなかつたのである、 併しさう言ふ考が実行せられないで、カイロ宣言、テヘラン会談と言ふことになつた。 尚又ヤルータ会談も終了した。今頃になつてソ聯の重要軍事資材を利用するとか、好意ある態度に誘致すると言ふことは出来なくなつた。 既に手遅れだと言つたところが、米内海軍大臣は手遅れではないと思ふと言ふ。 少し余談になるけれども私は米内君とは鈴木内閣にはいつて以来話が合つて、一緒に仕事をして来た訳なんだが、 此時たゞ一ぺnだけ激論をした。即米内大将はソ聯に対しては手遅れぢやないと言ふのに対し、 それはソ聯の実状を知らんからさう言ふことを考へるのだと言つたところが、前に外務大臣をして居つた君等の先輩でも、 ソ聯は今からでも手をつけ得ると言ふことを言つてゐるんだと言ふ。
その名前も聞いたけれども、名前はこゝでは止めて置きませう。自分はそれはソ聯を知らないのだ、 ソ聯を日本の有利に誘致すると言ふこと結局飛行機を貰ふとか石油を貰ふとか言ふことは全く考へる余地はないと言つて私は強く反対した。 併し総理は向ふの気持をそれとなく探つて見ていけなければそれでも良い、探る位のことは良いぢやないですかと言ふ。 それでさう言ふ意味合のことを加へて置くならば差支ないだらうと言ふことになり結局に於て決つたのは、 第一がソ聯を参戦せしめないこと、これは誰しも必要を感じてゐたことです。 第二が好意的態度に誘致すること、第三に、ソ聯を通じて和平を導くと言ふ三つの目的をもつてソ聯と交渉すると言ふことであつた。 私はその時主張したんだが、ソ聯は日本との戦争を始終心配してゐるから、 今の状態に於て日本に対して好意をもつてゐると言ふことはあり得ないのだ。 日本が弱くなつてゐるんだから、日本と一緒に仕事をして何か利益を得ようと言ふよりは、 英米と一緒になつて利益を得ようとする気持の方が強くなつてゐると思ふ。 従てソ聯に対しては参戦防止、好意ある態度への誘導にしても仲介にしても、相当の代償を払はなければ成功しない□合であると述べたが、 これは皆も納得したんです。そこで代償はどう言ふものが適当であらうかと言ふ問題に話がなつて、 十五日までの間にその話が大体決つたんです。あなたの言つてゐるのはこのことでせう。
(大井)代償のことは何カ条かに書いてありますか。
(東郷)私の方で立案したものに、少し附け加つたところがあるけれども、その決定せられたものを書類にした。 その時の出席者即総理、陸海軍大臣、両総長と私とでサインして書類は私の所、外務大臣の官邸に置いた。 ところが外務大臣の官邸は五月三十日(二十五日)の空襲で焼けてしまつた。 その書類も焼けてしまつたので、更に同一内容の書類を作成し、総理にだけ斯う言ふ訳だからと話し、総理だけのサインを貰つて、 自分が其成行を記載してサインして置いた次第なんです。 それでその決議したソ聯に対する代償の大体の趣旨は、南満洲以外は日露戦争前の状態に返すこととする。 言ひかえて見ると、ポーツマス条約及びこれによる漁業権は解消しなければならぬ。 北満洲にも向ふは非常な希望をもつてゐるから必ず要求するだらうと思ふ。 併し南満州をどちらかの勢力範囲とすることは又々葛藤が起る原因になると考へて居たから之は緩衝国にすると言ふ大体の考です。
(大井)これは十五日に、十一、十二、十四日だけでなく十五日も会つて居つた訳ですか。
(東郷)この会議は終戦迄ずつと続けてやつて居つた。
(大井)先程の書類は会議の劈頭に出したものでなくつて、会議の後に作られたのですか。
(東郷)その話はそこまで動いて、その結論を書き物にした。
(大井)決定したものをですか。
(東郷)決定したのです。
(大井)次のことを決定したと斯う書いてありますがその時書いた日付がハツキリしません。 書き物はあまりコンプリートぢやない関係かも知れませんが。
(東郷)決定したと言ふことは、本当にテキストには出てゐない筈ですが、それは及川さんが書き入れたんでせう。
(大井)昭和二十年五月十一、十二及十四日に亘る最高戦争指導会議構成員のみをもつてせる会議に於て意見一致せるところ左の如し、 左記として。
(東郷)書き出しはさうなつてゐたやうに思ひますね。
(大井)十四日の会合が終つて書いたのですか。
(東郷)さう、十四日の会合が終えて書いたんです。
(大井)或る人の話によりますと、 斯う言ふソ聯を使ふと言ふことの会議の発端の頃に当時沖縄の戦闘が行はれて居つた訳ですがこの沖縄の戦闘に対してソヴエートの態度が割合に好意的である。 例へば今までレイテとかその他の会戦に於て日本の戦況をあまり有利に報道し居らなかつたタス通信あたりが、 沖縄の戦闘に関する限り何だか日本側に有利なやうな報道をするやうになつた。 さう言ふことでソ聯を使ふと言ふことに対して脈があると言ふやうな感じがした、 斯う言ふ陳述も私の方にして呉れた人があるんですが。
(東郷)沖縄の戦争でソ聯のタスあたりが日本に有利なことを書いたと言ふことは聞いたことがあります。 併しそんな枝葉のことが原因になつて決つた訳ではないので、大きなところは陸海軍の方でソ聯の参戦と防止する、 誘導してくれと言ふ気持が本になつた訳です。
(大井)それから或る書き物、調査によりますと陸軍大臣がドイツの屈服と言ふことに刺激されてこの会議を、 この会議かどうか知りませんが、何か国策の大転換に対する会議見たいなものを提唱したと言ふように書いてありますが、それについては…
(東郷)それもうそだ、陸軍大臣が此構成員丈けの会議を提唱したことはない。 陸軍大臣は無論賛成はしたが、陸軍大臣が持ち出してこの会議が始まつたと言ふ訳ぢやない。
(大井)延いてはソ聯を仲介として一般的和平に導くと言ふ今の外務大臣案ですが、 あれに対して皆さんの意見はどう言ふ風でしたか。
(東郷)その時問題は進んで一般の和平第三に移つた訳です。ところが和平と言ふことには全員不賛成はない訳なんで、 結局条件をどうするかと言ふことに問題はなる訳なんだ。 この条件と言ふ問題になると陸軍では阿南君が強く言つて居つたが、日本は決して負けてはゐないのだ、 まだ敵の領土をうんと占領してゐるんだ、この負けてはゐないと言ふことを基礎にして考へなければいかんと言ふ訳なんです。 それで僕は、今猶広大なる領土を占領されて居るのは、沖縄だけと言つてもいい位なんだが、 今後に於ける戦局の推移如何が問題なんだ。 それで今とに角敵の領土を占領して、日本の領土を占領されてゐないと言ふことのみで、 和平条件を決定することはとても出来るものではないと言ふことを主張したけれども、形勢はなかなか険悪になつて来た。 そこで海軍大臣は、この第三の実行については当分伏せることにしませうと言ふことを突如として言ひ出した。 僕はもう少し話合を進めて置かなければ後になつて困るんぢやないかと思つたけれども、 総理も今そこまで決定しなくても、先づソ聯の気持を探りつつ話合を進めて行くことにしようと言ふ訳なんです。
さう言ふことで第三項の実施は後れた訳です。

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