(…)
東郷茂徳は、昭和十六(一九四一)年十月外相に就任以来、日米交渉を成立させるべく邁進して徹底的に開戦に反対し、
またのち鈴木貫太郎内閣の外相として、戦禍の増大を少しでも食い止めるため、ポツダム宣言の受諾を主張して真っ向から軍部と対決した人だった。
それは今日多くの記録が語ってくれる。外務省官僚としての東郷に親しく接した人たちの東郷評は、「孤高の性格のうえに、冷静厳格」あるいは、
「だれに対しても相当きびしい態度に出る人」という、東郷の外相当時の行動を裏書きするものである。
また満州事変のころから東郷と親交にあった共同通信の森元治郎記者は、
彼は今更云つても始まらないと黙つて引込む男ではない。…(中略)…彼には法律家のような頭脳に、強靭無類な性格が交錯し、
公私何れの場合でも最も不利な而も受身な局面にぶつかると恐る可き底力を出した。
と評した。
(…)
(「第3章 「私人の間の気がね」と「腹藝」―東郷茂徳外相の論理」より
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