2015年7月25日土曜日
書庫(52):西春彦「回想の日本外交」より
次官就任と革新派の粛清 日ソ中立条約が締結されたのと同月の昭和十六年(一九四一年)四月から、 日米交渉が開始されていた。七月に第二次近衛内閣が総辞職したのも、 松岡外相を更迭して日米交渉を円滑にすすめるためで、第三次近衛内閣では豊田貞次郎氏が外相に就任した。 しかし対米交渉は思うように進展せず、同月末に日本軍の南部仏印進駐が決まると、 米英両国は日本資産を凍結した。日米交渉で米国側が主張した条件には、はじめから中国からの撤兵があったが、 最後にこの点を東条陸相が突っぱね、近衛内閣は十月十六日に総辞職した。 後継内閣は東条首相が組織することになり、東郷茂徳氏が入閣して外相となった。 私は、氏の求めに従って次官に就任することとなった。
東郷さんは外務省の本流を歩いた人ではないので、心から知り合った人もあまり多くはない。 私は同県人でもあり、東郷欧亜局長時代の第一課長として北鉄交渉もやったし、 モスクワでも東郷大使のもとで漁業交渉をやった。 そうした事情があって、わりあいと関係が深かった。また東郷さんはだれに対しても相当きびしい態度に出る人だったので、 私は局長連が驚かないように、その間のクッションになってもよいと思っていた。 しかしほかに東郷さんの決めたい人がいるなら、その人にやってもらった方がいいと思ったので、 大臣に就任したときにも、挨拶にもいかなかった。 ところが、東郷さんから使いがきて、次官にならないかという。 私は、なれというなら決死の覚悟でやるが、それは大臣にまかせる、と答えた。 結局次官に就任したものの、日米交渉の経緯はそれまでまったく知らなかった。 国家機密で絶対に関係者以外には話さないのであるから、東郷さんも断片的な知識しかもたないで入閣したわけだ。
(…)
第六章 日米開戦
1.東郷外相を補佐して
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