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東郷を見舞う 九月十日には、軽井沢の別荘に心臓が悪く静養中の東郷さんを見舞ったが、
ぐっと老けられた様子が痛々しい。ついで十月十九日には麻布の自邸に戻っていた彼をまた訪ねた。
すでに戦犯指定の内命があったのか、身辺整理をしておられたようだった。
二階の陽当たりのいい窓際で和服にくつろいだ東郷さんは、口も軽く、終戦の経緯、
ことに六月二十二日の御前会議、「ポツダム宣言」正式受諾の際の御前会議で、
東郷の意見に賛成であるとの陛下からのお言葉に感激した模様をせきを切ったように語った。
その様子から「君もよく憶えておいてくれ」と遺言ともとれる話し振りだった。
あまりの早口に私はメモをとり損なうくらいであった。しかし、まだ法廷での闘いが控えている。
とても彼の好んで色紙に書く「明月時至」の心境になかったのがお気の毒であった。
私はこの貴重な「外交秘話」を雑誌にでも投稿すれば必ず少なくない金になることは知っていた。
が、書いたとしても、彼の意とするところを伝え損えば、いずれ裁判にかかる彼に迷惑をかけ、
大変なことになると思ってこれを慎んだ。
帰りがけに東郷さんから「これから君はどうするか」とたずねられた。私は、「郷里へ帰りたいと思います。
世の中はみんな交替すべきです」と答えた。のちに私が政界入りするに当って、
「社会党」をえらんだ心の土台はここにあった。
なお、私の終戦工作をもとにして、昭和二十七年に「東映」から監督関川秀雄、脚本八木保太郎で、
終戦秘話「黎明八月十五日」という映画が製作された。
主演俳優、新劇の松平克平が演ずる「林記者」というのが私である。
お芝居であるから林記者の言動がすべて私のそれと同じではない。
おかげで、私はたくさんの謝礼をもらって大助かりであった。
終りに、ひとたびこうと決めたらテコでも動かぬ頑固さ、
それにあの類い稀れな粘り強い東郷さんが外相であったればこそ終戦に持って来られた、
余人をもってしては到底出来なかったとつくづく思う。
性格が正反対の彼の下で一伝令兵として僅かの期間ながら働いて、私は多くのものを学びとったことを感謝している。
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