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それらの一つ一つについて記す紙数がないのは残念であるが、『本書』上巻に関連して最も忘れ難いことは、
この『終戦史録』に次の「記事」を編入しておいたことである。
それは、「第二篇 戦争指導に関し東郷外相と東条首相との衝突」の中の「昭和十七年元旦東郷外相訓示の一節」の項に、
(編者メモに依る)として私の「メモ」より次のような引用をしておいたことである。
東郷外相はその時「…力及ばずして、遂に戦争になつてしまつたが、われわれは、
この戦争を日本に最も有利な機会に切り上げなければならない。
外務省員は他の用務を放擲しても、このことの研究と準備に力を尽して貰いたい。…」と言われた。
元旦、フロックコート(モーニングだったか)に威儀を正され、日米交渉以来の傷心に、
顔面蒼白いささか痙攣を伴なうかに見えた東郷外相は、陸奥外相銅像の下に立って厳粛に右の趣を訓示された。
時、あたかも元旦、緒戦の戦果を改めて祝う人々が、
外務省と真向いの海軍省との間の霞ヶ関の通りを日の丸の小旗をふって通っていた。
東郷茂徳外務大臣のそのときの訓示と、門前の光景とは、今なお私の脳裏に実に印象的に残っている。
そして私は、右の引用に続けて『同書』にさらに次のように記したのだった。
編者はその末席にあって、その時始めて外相の真意をうかがい、その見識と勇気にひそかに敬意を表するとともに、
条約改正時、日清講和、日露講和時の大隈、陸奥、小村等外相の苦心を想い、
いずれ東郷外相は往時に倍積された苦難に直面されるだろうと思った。
本書編纂のそもそもの動機はその時の東郷外相訓示に発していることを茲に明記しておく。
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