2015年7月28日火曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(5)

(大井)四番目の方ですが…
(東郷)四番目の六月八日の御前会議ですね、これがやはり今までお話した、その時の日本の気持から出てゐる訳です。 戦況が非常に悪かつた。
併しまだ戦争は止めると言ふ気持になつてゐないものが多かつた。その時の情勢ですね、 殊に鈴木総理は其内に戦争を止めたいと言ふ気持であつたが戦争を止めるにしても国民の士気はこれを維持して置かなければならぬと言ふ気持が非常に強かつた。 だから議会を開いて、議会でもつて士気の昂揚をはかると言ふ考へ方、それについては海軍はあまり賛成はしなかつた。 併し陸軍は非常に賛成した。陸軍ではその外に、陸軍の全部かどうか分らんけれども、 本土決戦まで持つて行く機運をこゝで作らうと言ふ大きな考があつた。 だから議会を六月の九日に開くことに決定した。 ところがその前に、六月の六日ぢやなかつたかと思ふのだが、最高戦争指導会議が開かれると言ふことを突然僕のところにも通知して来た。 戦争の継続で会議を開くのか、課題も何にも知らして来なかつた。さうして行つて見ると、戦争の継続と言ふ非常に強い文句の議案が出て来た。 それで僕はびつくりした。最高戦争指導会議には幹事として、陸海軍の軍務局長、総理のところから書記官長が出てゐるので、 そちらの方は予め相談することが出来るんだが、外務省の方からは幹事は出てゐないから何にも相談に与かつてゐない。 僕は最高戦争指導会議の議場に行つてから初めて議案を見た。 さうしてびつくりした訳です。 席上右議案に対する説明として秋永綜合計画局長官が国力の検討に付報告した上に国力が非常に弱つて来たそれで生産を増強しなければならぬ。 でないと戦争の継続はむつかしい、併し生産の増強不可能にあらずと言ふ趣旨の説明があつた。 それに迫水書記官長から士気の昂揚をはかる必要がある、 国際問題についてもなるだけ日本に援助せしめることに仕向けて行く必要があると言ふことを言つた。
その意味するところはロシアのことであつた訳なんです。 それに続いて河辺次長が、その時は梅津参謀総長が旅行をしてゐなかつたので、其代理として説明した。 戦争の状況は逼迫しつつある。 併し日本の方に戦場が近くなればなる程日本に有利であるのだから戦争の前途必しも危惧を要しないと言ふ説明です。 そこで僕は今聞いたところだけでも、日本の国力は漸次減退しつつあると言ふことである。 これは事実として明かに自分達の心配してゐるところと合致する。 而も今空襲は激化して来てゐるし、生産の増強は非常にむつかしいことに思ふ。 又参謀次長は、日本に近付けば近付く程我方に有利になると言ふ説明だつたけれども、 相手は先づ日本の生産力を空襲によつて減殺し然る上に上陸しやうと企ててゐるんだから、 近くなればなる程日本に有利になると言ふことは自分には納得が出来ない。 今の陸軍の主張は、日本で十分な航空能力を持つてゐるならば実現出来るけれども、交通兵力が足りない場合に於てこの説明は納得出来ない。 尚空襲激化の今日生産の増強が出来るか、自分にはどうも納得がいかんので、日本は最早覚悟することが必要だと思はるるとの趣旨を述べた。 然るに当日特に本会議に列席した豊田軍需相は、生産の増強が出来るか出来ないかの問題に付て、なかなか生産の増強はむつかしい、 併し外の方から、例えば陸軍で斯う言ふことをしてくれるとか民間で斯う言ふ風に働いてくれるとか、 色々条件を挙げてさう言ふことをやつてくれるならば出来ない訳でもないと言ふ意見の開陳があつた。 即各種条件が完成せらるれば、生産増強せられ、生産の増強が出来るとなると戦争の継続も出来ると言ふ理窟になるんです。 それで自分はさう言ふ条件を完成することは甚だむつかいしいことである。 今軍需大臣の言つてゐるところの条件の実行は殆んど出来ないぢやないかと言つたけれども、軍需大臣の意見をとり入れた案が提出せられた。 その時海軍大臣は何も言はない。自分は斯う言ふことを書いて置くのは疑問だと言ふことまで言つたが、 総理は、此際此程度のものを決定して置くのは必要であるとのことで、あの決議案は出来上がつたと言ふ訳です。 即初めの案よりもいさゝか修正されたもので、 九月までに生産を増強することが出来れば戦争を継続すると言ふ趣旨のものであつたやうに思ふ。
条件付きでも戦争継続を決議したやうな訳ですが、総理の方では議会に臨み、国民の士気を鼓舞する為めに、 少しは強いことを決めて置く必要があると言ふ気持です。 それが八日の御前会議まで行つたんです。 僕はあゝ言ふ条件付でさう言ふことを決めて、その条件の完成は殆ど出来ないと言ふ趣旨でもつて賛成したんです。 総理あたりは議会に対する対策としてあゝ言ふものを決めて置く必要があると言ふ気持があつたと思ふ。 御前会議に於て僕は、日本の外交上の立場は窮迫してゐるので、外国より有利な援助を望むことは不可能だ、 而も戦況が斯くの如く悪くなつた時に於ては対外的の地位は日一日と不利になつて行くばかりだ、 この点を早きに及んで考へる必要があることを述べたのです。 併し御前では其れ以上の議論にならないで前の決議が通つたと言ふことになつてゐるんです。 如斯状況であつたので六月六日乃至八日の最高戦争指導会議に於ては講和の問題は討議せられるる余地がなかつた。 殊に六日の会議に於ては幹事の方から、ソ聯を日本の有利に誘導して軍用器材の獲得に努めて欲しいと言ふ注文が出た。 それで僕はさう言ふことは出来ない、 何かさう言ふ予定を基礎にして戦争を継続するの決議が出来るならば尚更自分は反対だときめつけたところが、 それを条件としてこの案は出来た訳ぢやない、それはたゞ希望です、と言ふやうなことを言つて居つた。 併し希望としても空な希望をもつて考へると間違ふ、 ソ聯の方を日本の味方に変へ得ると言ふ考へ方は全然止めなければならぬと言ふことをはつきり言つておきました。
(大井)私共御前会議に於ける外務大臣の発言大東亜大臣の発言要旨と言ふ書類が残つて居ります。 これは御前会議経過と言ふ本が内閣から出まして、その中には誰が何時どう言ふ風に発言した、 さう言ふことを書いて、その次に国力の減少と言ふ先程の秋永さんの読まれたものがあり、 ずつと書類がある中に、大東亜大臣の発言要旨と言ふものが書いてあります。 その時には前からプレペアして、予め書いたものを読まれた訳ですか。
(東郷)それはどう言ふことを書いてあるのか読まなければはつきりしたことは云へないけれども、 大体は書いたものを準備して行く訳です。 しかしそれは下局で作つた儘のものですから、自分はいつもタイプした通りそのまゝしやべることはしなかつた。 その時に応じて色んな意見を入れたり又は削除したりして陳述した。
(大井)それから世界情勢判断と言ふのが御座ゐますが、迫水書記官長が読んだと言ふのは…。
(東郷)国際問題のことを言つてゐるから、どうも書記官長余計なことをすると言つて文句を言つたことがあります。
(大井)これも今のやうに六日の時に出てゐるやうですが。
(東郷)六日に出てゐるんです。
(大井)世界情勢の判断と言ふのは、外務大臣には前に相談しなかつた訳ですか。
(東郷)相談なし。会議開催に付前以ての打合も無かつたのですから、此陳述に相談があつた筈はないでせう。 又其中にそれに何かソ聯を引きずることも不可能ぢやないと言ふ意味のことがあつたと思ふがこれも全然自分の意見に反することだ。
(大井)これは外務大臣の仰しやつてゐる発言等の中に、文書は全然違ひますから比較にならんかも知れませんが、 少し違えば違うやうなところもあるやうですが。
(東郷)迫水の説明に就ては自分は一つも承知しなかつた。
(大井)さうですか。
(東郷)幹事の仕事振については、最高戦争指導会議の前身たる連絡会議の時にさう言ふくせがついてゐる訳です。 参謀本部の二部長、軍令部の第三部長あたりが来て外務省には何等打合せなく、外交問題を説明して居つた。 それに今の最高戦争指導会議の方には、外務省幹事がゐないでせう。 幹事の方で何処かに振り当てて準備しなければならぬ。 それで外交問題は書記官長がやると言ふ気持でやつたんでせう。 併しとに角書記官長あたりに外交問題が分る訳はないから余計なこと、間違つたことを言つては困ると言つて注意したことがあるんです。
(大井)当時の文書には今後とるべき戦争指導の大綱とありまして、七生尽忠の信念を源力とし、 地の利人の和をもつてあくまで戦争を完遂し、以て国体を護持し皇土を保衛し聖戦目的の達成を期す、 と斯う書きまして、次に、速かに国土戦場態勢を強化し皇軍の主戦力を之に集中すと戦略的のことが第一項に書いてあります。 細かいことが二行ばかり書いてありまして、その次に、 世界情勢の変転機微に投じ対外諸施策特に対ソ対支施策の活溌強力なる実行を期し、以て戦争遂行を有利ならしむ、 これが第二項に書いてあります。第三項に国内態勢の整備のことが書いてあります。 国内に於ては挙国一致国土決戦に即応し得る如く国民戦争の本質に徹する諸般の態勢を整備するんだと云ふのであります。 問題は第二項でありますが、この第二項の漠然たる言葉の中に、これで講和、 ソ聯の仲介かなんか知りませんが対ソ対支政策の活溌なる実行と言ふ中に和平と言ふことも含蓄の中に入れてあると言ふやうな考はなかつたですか。
(東郷)それは幾分あるにはあるがソ聯を有利に誘導すると言ふ気持の方がずつと強い訳なんです。 併し活溌なる外交の動きと言ふのは総て一般的な動きを意味するんだと言つて居りました。
(大井)最高戦争指導会議に出ましたものは、七生尽忠の信念を源力とし、地の利人の和をもつてあくまで戦争を完遂し、 以て国体を護持し皇土を保衛すると共に将来の民族発展の根基を確保す、恰度後で陛下が八月十四日ですか、 仰つたやうな言葉見たいなものが一寸出てゐるんですが、 御前会議提出の文書には何々すると共に将来の民族発展の根基を確保す、と言ふのがなくつて、 皇土を保衛し聖戦目的の達成を期す、と言ふ風になつてゐます。 鉛筆記入が具合から出発し最高戦争指導会議で書き改めたんだと言ふ風に思われますが…。
(東郷)八月十四日の陛下の御言葉と似てゐるかも知れませんけれども、 民族発展の根基を確保す云々とあると日本が向ふに持つてゐる占領地域を確認するんだと言ふやうな意味にもなるからこれでは困ると云つて、それは削除することになつたと思ふのですね。 地の利とか何とか言ふのは、陸軍の、さつき言つた近づけば戦争が有利になると言ふ考え方、 人の和と言ふのは士気の昂揚と言ふことですね。 議会によつて士気を昂揚すると言ふ意味から来たんでせうな。
(大井)迫水の手記に、国体を護持し国土を防衛することが出来ればこの戦争はそれで目的を達成したんだから、 そこで終つてもいゝんだと言ふ諒解があつたものである。 斯う言ふ風に手記の中に書いてあります。 朝日新聞でしたかに…。
(東郷)此決議案は主として迫水、秋永二人で作つたものではないかと思ふのです。 迫水あたりの気持はさうだつたかも知れない。 又今言つた後の方の文句を削つて日本が占領地域を自分のものにすると言ふ誤解を除去することにしたので戦争目的も大分緩和されたものになつて来ると言ふ気持はあつたんです。
(原)この書類は迫水書記官長が中心になつて起案したものと私は判断してゐるんですが、 この戦争指導の遂行に対しては鈴木首相は本当にそのつもりで真剣なつもりでお書きになつた。 決められたと斯う言ふ風に考へるのですが。
(東郷)鈴木総理の其時の気持は、議会を開くのだ、議会で士気を昂揚しなければいかん、 戦争を止めるにしても士気を落しては駄目だと言ふことが中心であつた。 だからこれはあの人が必しも実行が出来ると言ふのでなく一応斯う決めて置いた方が和平をやるにも都合がいいと言ふ気持です。 私が反対した時に、これ位決めて置くのは議会の関係もあるしいいぢやないかとの意味を述べられたことから、 私はあの人の気持はその辺にあつたやうに解釈します。
(原)主として陸軍ですが、継続派、強硬派の圧力に圧されて、 首相は不承知ながらもこれを決めたものではないかと云ふ考へ方もあるのですが、如何ですか。
(東郷)さうでもないと思ふ。陸軍の本土決戦派と言ふものがあつて、相当その中にも、 地の利なんて言ふのはその意味で書いたものだと思ふのですが、 それはなかなか容易なことではないと言ふ考は総理も米内海軍大臣も持つて居たと思ふ。 しかし総理は、あの頃はまだ暫くは戦争を継続し得るとの考へがあり、又一方には士気を鼓舞する為めの対議会策を考へて居たので、ああ云ふ態度をとられたものと思ふ。
(原)問題は御前会議の決定なんでありまして、いやしくも陛下の前で国策の大綱を決められた訳なんですが、 それが単に議会のための対策として斯う言ふ強いことを決めたと言ふことになりますと、 一寸斯う本末顛倒の感じがするので…。
(東郷)私はその点でその時反対したが、それから後木戸君にも話したことがある。 突然あの決議案が出て非常に困ったことを話した。 又六月二十二日陛下がお召しになると云ふ時にも御前会議の決定はあのまゝでは具合が悪いと思ふと言つたことがあります。
併しあれはあれで良いぢやないかと言ふのが木戸君を加へた一般の気持であつた。 あなたの言ふ通りそこに矛盾があることは百も承知して、 色んなことも言つて見たけれどもあれで良いぢやないかと言ふ一般の気持だつたです。
そこにあまり便宜的なものがあつたと言ふことは言へませう。
 (後略)

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