2015年7月26日日曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(2)

(東郷)第二の質問は、カイロ宣言は日本の講和努力に対して障害になりましたか、なつたとすればどんな風にですか。 これは障害になつたと言つてもちつとも差支へありません。 何故かならばカイロ宣言の中には日本は領土の一部を返還すると言ふ規定があるもう一つは、 日本の無条件降伏と言ふことがある。 それは当時の気持として日本が無条件降伏をするなんて言ふことはとても考へられない。 それで少くともその頃に於てあゝ言ふ宣言が出たと言ふことは 日本が和平しようと言つても出来ない方向に持つて行つたものである。 殊に領土の問題については日清戦争を日本の侵略だと言ふ建前から観てゐる。 日清戦争は、これはあなた方も御承知だらうと思ふが支那の方から朝鮮に向つて出兵して、 日本も条約の命ずるところによつて出兵した、そこに衝突が起つた。 結局支那が朝鮮を自分の保護国乃至属国にしようと言ふから日本はあの戦争を自衛上始めたと言ふ訳なんです。 これはその頃に於てはつきり世界的に認められた事実なんです。 併しカイロ宣言に於てはその歴史的事実を変更して日清戦争は日本の侵略戦争なりと言ふ建前で取扱つてゐる。 日本の国民感情から言へばさう言ふ解釈は許されぬ。 従つて平和の努力には非常な障害になつた。 この問題は大西洋憲章とも関係のある問題である。 大西洋憲章の方から言ふならば何れの国も戦争により領土を拡大しないと言ふ条項があつたと思ふ。 この領土の拡大を企述しないと言ふことからして日清戦争を日本の侵略戦争なりとし、 日本が略奪したんだから還さなければならぬと言ふことに無理にくつつけたものだとも思ふが、 兎に角大西洋憲章と抵触してゐる嫌ひがある。 更に日本の国民感情から言へば今言つたやうな訳ですから、平和の努力に対しては大きな障害になつたと言ひ得る訳です。 併しこのカイロ宣言は私が外務大臣を辞めた後のことだから、 これについてその時の政府の考はこゝで私が言ふべき地位ぢやないですからこれだけに止めて置きませう。
(大井)これは後でポツダム宣言の中に織り込まれた…。
(東郷)それを思つて長くしやべつた訳です。その時言ふべきことを今言つてしまつた訳です。
(大井)ポツダム宣言の時にはこのカイロ宣言があつたからと言つても、 外相としてはそのカイロ宣言はあまり邪魔には感じられなかつたですか。
(東郷)私は邪魔に感じたんですよ。あの時はカイロ宣言なるものが相当理論的に徹底しない。 国民感情から言へば納得出来ないし、又歴史的事実に反すると言ふ気持で私はその時も考へた。 併しこれに対する処置は、そんな感じばかりではいけませんから、又外の考へ方に由つて処置した。

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