2015年7月30日木曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(7)

(大井)それでは次の広田マリク会談が中断したところを一つ…。
(東郷)これはどの程度の期待を寄せて居つたかと言ふことになると、昨日お話したやうに、 私はソ聯は日本に対して良い感じを持つてゐる筈はない、だからソ聯を仲介する場合にはその態度を探りつゝ悪感を緩和し且つ之を除去しつゝ、 さうして仲介にもつて行く必要があると言ふ考であつたから、この会議にもさう期待を寄せる訳にもいかなかつた。 大なる期待は寄せ得なかつた。そこで初めは広田の方も先づ探りを入れると言ふことでもつて話を始めた訳なんです。 六月の初め広田氏がソ聯大使に会つて一般的の話をしたところが、 マリクの方は日ソ関係の改善について非常な興味を示し今日の話は是非モスクワに伝へます、 モスクワの方から話を進めるやうにと言ふことを言つて来たら突込んだ具体的の話をしたいからと言ふことであつて大変うけがよかつた、 ものになりそうだと言ふことを言つた訳です。 次に食事の招待会二、三度会つてゐる筈なのですが、話は急速に進捗しないので私の方から広田氏に急いで話を進めて欲しい、 先方が交渉に乗つて来なければ別に考慮しなければならないから、 交渉を進める誠意があるかどうかをはつきりさせて欲しいと督促をしたことがあります。 ところが広田氏は、あまり急ぐとこちらの肚を見られるやうで損ぢやないかと言ふことを言つて居つた。 外交の筋道から言へばさう言ふことになる訳だけれども事態が急迫せる為、取急ぐ必要があることを説明して、 催促して貰つた訳なんです。それで広田氏の方も色んな者を通じて、督促はして居つたやうですがなかなか話は進まなかつた。 それで二十四日まで中絶して居つた訳です。 然るに六月二十二日陛下よりの御言葉もあつたので、自分は二十三日鵠沼に広田氏を訪ねて、陛下の御思召をも詳報し、 うんと突込んでやつて貰いたいことを話した結果、二十四日の会見と言ふことになつた訳です。
(大井)広田マリク会談と言ふことを始められましたのに広田氏を選ばれた理由、 それに広田マリク会談と言ふものは五月中旬の最高戦争指導会議でロシアと交渉をすると言ふことで、 先づ肚を探るために非公式にやつて見よう、斯う言ふ意味だつたんですか。
(東郷)さうです。腹を探りつつ両国の関係を改善し且一般和平の仲介に導かうとしたのです。 広田氏を選んだと言ふのは前からの行懸りもあつたんです。 ソ聯に対する日本の動きが活潑でないといふ非難が東京で長い間随分あつたんです。 従て鈴木内閣成立直后、梅津君が、昨日お話したソ聯の参戦防止の話をもつて来た際にも在ソ大使はあのまゝではいかんと思ふ、 何とか外務大臣の方で考へた方がいゝぢやないかとまで言つたことがある。 しかしこの際になつて人を変へると言つてもなかなか事態が窮迫していゐるんだからむづかしい。 大使が変つて着任する迄にひまがかゝる。 一ヶ月位は時を空費すると言ふことになつて非常な損失がある。 この際甚だ更迭は好ましくないと言ふ事情がある。
次に特使の問題であるが、これは東条内閣の末頃及小磯内閣時代に持ち出したけれども成立するに至らなかつたので、 更に持出しても成立の見込はない。但し広田氏は前にロシアに居つたこともあるし、行つたら直ぐ仕事の出来る人だし前に総理もして居つた、 最近は重臣の地位にあつたと言ふ関係もあるので、 佐藤大使以上の大使と言ふことになれば広田氏を起用する外はないと言ふことになる。 それで広田氏に打明けて話をしたところが、自分は今向ふに行くことは困る。 併し日本でならば対ソ関係につき働くことは喜んでしよう。 ロシアとの関係は今のまゝではいかんと言ふことは自分もつくづく考へてゐたので、 その意見は前の内閣の時にも随分当局に話をしたことがある。 それで日本にゐてやる得ることがあるならば自分はいくらでもやるから遠慮なく言つて来て貰ひたいと言ふ訳だつた。 こう言ふ行きがゝりもあるし、ロシア問題については今までの経歴上、 あれ以上の人はないと言ふ観点から広田氏に依頼すると言ふことになつた訳です。 (大井)これは外務大臣の依頼によってアンオフイシヤルでありながら、資格めいたことを言へば、 外務大臣の何と言ふ風に言へばいゝものですか。外務大臣の顧問でもないし。
(東郷)顧問では無論ない訳です。外務大臣の代表と言ふ訳でもないんですね。 それで会談は非公式のカンバーセーシヨンと言ふ風に名前をつけたらいゝでせうな。
(大井)向うは大使であるが、こちらは外務大臣の何ですか。
(東郷)広田氏に斯う言つて置いたんです。ソ聯大使へは此の話は政府は十分承知してゐることを明かにした方がいいと、 即自分の話は政府でも十分に承知してゐるのだと言ふ諒解の下に広田氏の話合は始まつたんです。

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