2015年7月26日日曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(1)

昭和二十四年五月十七日
 太平洋戦争終結の史実に関する元外務大臣東郷氏の陳述第1回

陳述者 東郷茂徳(1941.10.17より1942.9.1まで、1945.4.9より1945.8.17まで外務大臣)
聴取者 山崎東助、大井 篤、原 四郎(FEC, GHQ, G2, 歴史科)
速記者 野田一郎
陳述期日、場所 1949年5月17日、東京巣鴨拘禁所

 (前略)
(東郷)それでは第一問の東条内閣時代に一般的講和の努力がありましたか、 あつたとすればそれはどんなものでありましたかと言ふ質問ですが東条内閣時代と言つても戦争が始まつて直ぐ、 戦争勃発の直後と言ふことになると、その時はあなた方も御承知の通り日本では緒戦に勝つたと言ふことで、 非常に勝利に酔つて居つた。又当局では戦争は長びくとの見透しであり、 軍の方では、この戦争は和平によつて解決するのではなく、こちらが何時までも持久戦でいつて、 向ふが弱るのを待つより外ないと言ふ考へ方が強く、 この戦争は十五年も二十年も続くと言ふことがその頃言はれて居つた。 その一例として一寸思ひ出したのは、一九四二年の一月末だったと思ひますが、 衆議院の予算総会で、先頃国務相をしてゐた植原悦二郎君が外交質問をしたことがある。 それは外のこともあつたけれども、 この戦争は何れ講和しなければならないがそれについて外務大臣は考慮せられてゐるだらうかと言ふ質問だつたんです。
だから私は、無論戦争は平和に持ち来すと言ふことが必要である、 だからそれについては十分の準備と覚悟を持つてゐると言つたところが、 議員の方から非常な抗議が出た。敵を壊滅するのが戦争の目的だ。 然るに外務大臣が講和の用意があると云つたのは失言だ。取消したらよかろうと言ふ訳です。 私は当り前のことを言つたんだから取消す必要はないと頑張つたところが閣内でも、 議員の言ふのは尤もだ、 今の勢で行くならばワシントンまで占領することも出来るかも知れないと言ふやうなことまで言つてゐるものがあつた。 今から見ると丸で滑稽な話しですが、当時は左様な世相であつた。 だから総理も何とか穏かに話をつけるのが良いだらうと僕に言ふ。 僕は取消す必要はちつとも認めないのだがたゞその頃よく使つて居た方法で速記録に載せないと言ふことがある。 僕は速記録に載せるためにしゃべつてゐるのではなく議員に諒解せしむるためにしゃべつてゐるのであるから、 速記録に載せると言ふことの必要は認めない。 それで速記録に載せないと言ふことを僕が承諾すると言ふことでもつて話を纏めたことがある。 議会でも当時はさう言ふ勢だ。
(大井)議会では全部の議論がさうだつたと言ふのではないと思ひますが…。
(東郷)その時のことは今から名前を言ふ必要もないと思ふ。議員の方からさう言ふ要求が出て、 これに、大勢の人が賛成したと言ふことに承知されたいのです。 さう言ふ時代であつたから、一般的講和の努力をすると言ふことはとても出来る時代ではないと言ふことを言ひたいのです。 だから私としては先づ個別的に講和の機運を作り、 然る後に一般講和に導くと言ふことがその際としては最もとるべき方法だと考へ、 それについては相当尽力した訳です。 併しそれも講和の具体的提議とか言ふやうなことは無論その時の情勢から見てあるべき筈はない。 即講和に対する準備と言ふ気持ちで動いて居た。 その一つとして、これは私の口供書に書いてゐるのだが、ソ連に対してスメターニンと言ふ大使が帰る時に、 モロトフの言づけをして呉れと言つたことがあるんです。 それは一九四二年の春ですけれども、世界の大国中、日本とソ連とだけが戦争をしない関係にある、 即ち恰かも夕立の中に日光の射してゐるやうな場所だ。 世界の平和はこの地点からこれを拡げて行くと言ふのが自分の希望だ、だからソ連もその気持でもつてやつて欲しい、 と言ふことをモロトフに言づけをしてやつたことがある。 これが一つの私の全般的和平に導くと言ふ気持の現はれです。 次には支那問題が太平洋戦争の起因であると言ふことは明かな訳だから、 先づ支那問題を解決する。日本と支那との間の和平が出来るならば、戦争の終幕も促進せらゝと言ふ考で、 一九四二年の五月末だつたと思ひますが、連絡会議にその話を持ち出して、 支那問題をこの際速に解決すると言ふことにしようぢやないかと言ふことを提案した。 支那問題解決促進の趣旨に就ては列席者一同の同意を得た訳ですが 具体的にどうして実行に移すべきかと言ふ問題になつたところが、 なかなか議論が紛糾して来た。或る一部では、日本は今戦争に勝つて今重慶は殆んど困憊してゐるのだから此勢に乗じ、 国民政府を撃滅する方が東洋平和のためにいいと主張した。 併し私は徹底的にこれを撃滅することは不可能であるから、やつつけるよりは、 寧ろ今の日本の有利な状態に於て話をつけることが得策であると言ふことを言つて議論を交えた訳ですが、 結局は軍に於て、今の支那との戦争行為をどう言ふ風に持つて行けばいいか、 又これを終結するにはどう言ふ風にするか今少しく研究したいと言ふことで、 参謀本部の方でこれを研究することになつた訳です。
その後参謀本部の方で研究しつつあると言ふことは当時の岡本第二部長から私にも度々話がありましたが、 其の話によるとなかなか軍の方の研究はむつかしくつて一向結論が出ないで困つて居るとのことであつた。 さうしてゐるうちに例の大東亜省云々の問題が発生して、同年九月私は辞めることになつた。
それで支那問題の方も私の考を達成するところまでいかないでそのまゝになつて私は辞めたと言ふ訳です。 それからソ聯との関係に於ては 先づソ聯とドイツとの間の和平を促進し逐次全般的和平に誘導することが適当であると言ふ考で、これを連絡会議に 持ち出して大体の筋道に於ては賛成を得た訳なんです。 一九四二年七月クイブイシエフに居つた佐藤大使に、 何時でも独ソ間の和平の問題を持ち出し得る地盤を準備して置くやうにと言ふことを訓令したことがある。 ところがこれも話合を開始する所まで行かないうちに私は九月一日に外務大臣を辞めたので、 私のその時の考案は実行せらるるに至らなかつた。 一般的和平の為めの具体的の動きがあつたのはずつと後になつて鈴木内閣が成立してからのことですよ。 第一問は大体そんなところです。
(大井)法廷の記事によりますと一九四二年七月に、陛下から何かお話があつたが、 その前に同年二月にも総理と内府に対し陛下が申されたのはあなたに伝へられなかつたと言ふことが載つてゐるやうでありますが。 (東郷)それは東条内閣の時、一九四二年の二月のことです。
(大井)その七月の陛下が仰しやつたことは、 ソ聯関係を独ソ和平に逐次全面的に誘導すると言ふことについて佐藤大使に訓令したことと関係ありませんか。
(東郷)関係ありません。陛下の方の話は鈴木内閣の時です。 このことは後の方に項目があるやうですからその時話します。
(原)シンガポールが陥ちた時に、 イギリスから和平提案があつたと言ふことを中野正剛の輩下の三田村と言ふ人が大々的に新聞に出しましたが…
(東郷)全然ないことです。少し立入ることになるけれども、斯く言ふことがあります。 戦争勃発后イギリス大使クレーギーが帰国する時加瀬秘書官を使ひにやつたことがある。 クレーギーとは日米交渉に付話をしたことがある私はイギリスをあの交渉に参加せしむるを適当と考へ同大使に対し、 イギリスは極東に大きな権益をもつてゐるのだから、此交渉に参加したほうがよからうと二三度話したことがあります。
クレーギーもそれに賛成して本国政府に電報を出した。 ところが本国から、日米交渉に於ける支那問題その他の問題は現在アメリカ側の交渉に一任してあるから、 それでイギリス政府としてはその話の成行を待つてゐるので、その間自分達は干与しない方針だと言つて、 叱られて来たと言ふことがあつたんです。 それでクレーギーに対しては折角お互に交渉成立を図つたけれどもとうとう成立しなくて、 戦争になつたのは甚だ遺憾である。戦争になつた今日に於ては戦ふより外ないが、 一方戦争が勝算なきに至つた場合には速に之を止めることがお互双方のために良いことだから、 此の点はよく含んで置いて欲しい。 或はあなたが適当だと思ふならば帰つてから政府にも話して欲しいと言ふことを加瀬を通して伝言した。 さうしたらクレーギーはアメリカ側のハルノートは自分は戦争になつてから初めて読んだ。 ああ言ふものなら日本側がこれを拒絶したのは当然のことと自分は思ふと同時に戦争を止めることについては、 今これを止めると言ふことになるとイギリスが不利の状況にある今日、 和を講じたらよからうと進言するやうなことになるから、自分は帰国してからも政府に言ひ兼ねる、 併し日本の外務大臣の厚意には自分は感謝すると言ふ挨拶があつたと言ふので、加瀬から報告があつた。 だからイギリスの方でその時和平の話を持ち出すと言ふことはとてもあり得ることぢやない訳です。 当時イギリスからさう言ふ話があつたらうと予想するのは忍耐強いイギリス人をあまり軽蔑するものだと言つても差支へない位です。又さう言ふことは実際に於て私の方に通じて来たこともなかつた。 その三田村の話と言ふのは、中野が話したとか、鳩山から話が出たとかに違ひない、 私もずつと後になつて其の話を聞いたことがあります。 併し鳩山中野がそんなことを知り得る筈はない。 私の所にも中野は時々来たことがあります。が、その時もそんな話が出たことはない。それは間違です。
(原)日本の常識になつてゐるのですが…
(東郷)さう言ふことは理論的に言つてもあり得る訳のものではない。
 (後略)

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