2015年8月2日日曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(10)

(大井)それでは十二を…。
(東郷)原子爆弾の問題ですね。これはこの質問の書きぶりを見ると一寸斯う言ふ気持を持つんです。
原子爆弾が投下されたら外務大臣は直に天皇或は閣議に何か提案すべき筋道のものではないか、 と言ふことがこの質問の裏にあるやうな気持がするんです。 書いた人は必ずしもさうではなかつたかも知れないけれども、これについて一寸良い機会だから話して置きたいことは、 第一に原子爆弾投下は軍事々項だからあれについて報告するのは外務大臣ではなくして軍部の大臣、 又内地の事項だから内務大臣、斯う言ふものから報告がなくてはならぬ。 それから最高戦争指導会議についても、これも軍部大臣統帥部の方から戦闘事項の報告があるのが適当である。 それからもう少し掘り下げて行くならば、ついでに申上げるならば、全体戦争について、 戦争をするとか止めるとか言ふことはアメリカあたりの関係とは違ふので、日本では外務大臣単独の主幹事務ではありません。 これは無論陛下の宣戦講和の大権によるが、本質は外務大臣のみの輔弼事項ではなくつて、内閣に於ては各閣僚殊に総理大臣、 それから統帥部に於ては両参謀総長の問題になる訳なんだ。 即ちさう言つたものゝ意見が合致すれば、陛下はその合致したところによつて行動なさる。 併しこの統帥部が、あなた方もよく知つて居られるでせうが、なかなか日本ではえらい勢力を持つてゐたから、 統帥部と政府との間の意見は何時でも別途に之を上奏するのであつた。 そして陛下の手許で両者を統合せらるゝ訳です。 日本では何時も統帥部と政府の御前会議なしに戦争を始めたこともなく終結したこともない。これが大きな建前です。
外務大臣が戦争の開始及終結に関する主管大臣だと言ふことは観念的に非常な問題であるといふことが、 この問題を掘り下げたところの根本の点なんだ。 あなた方はさう言ふ誤解はないだらうと思ひますが、世間ではよくさう言ふこともあるので一寸申上げて置きます。
それでこの原子爆弾になると、私が初めて知つたのは外務省が受けたアメリカあたりの放送だつたと思ひます。 それで直ぐ陸軍の方に聞いたら、米国では、原子爆弾とか言つてゐるけれども非常に力の強い普通の爆弾とも思はれる。 これについてはもう少し調べて見る必要があるといふことを言つて居つたのです。 併しどうも外国では非常に之に重きを置いて言ってゐるから、調査をするならば早くする必要があるぞと言ふことを僕は言つて置いた。 その翌日即七日なつて関係閣僚だけの閣議が開かれた。 陸海軍大臣、内務大臣、運輸大臣も居つたと思ひますが、自分はアメリカでは原子爆弾は戦争に革命的な変化を与へるものだ、 それで日本が和平に応じなければ重ねて他の場所にも投下すると放送して居ることを報告した訳です。 陸軍の方では、さつきお話したやうなことを言つて、あれはまだ本当の原子爆弾と言ふことは分らん、 人を出してゐるからその報告を待つ必要があると言つて、あの効果を非常に小さく見ると言ふことに努めて居つたんです。 併しアメリカの宣伝放送が非常に強いから、自分はその翌日の午前でしたらうと思ひますが陛下に拝謁して、 外国の方では斯う言ふことを言つて居ります。戦争の革命であるのみならず社会に対して生活にも大なる革命を来すものだ。 日本に対しては降伏するのでなければ重ねて又原子爆弾を落す、斯う言ふことを言つて居りますと、 米英よりの放送に出て居つた材料によつて説明し、事態の急迫について申上げた。 陛下は、あゝ言ふ新しい兵器が現はれた以上戦争を継続することは不可能だと言ふことをはつきり言はれました。 僕もそこで愈々講和を急ぐ必要がありますと申上げたところが、無論さうだ、速に戦争の終末を見るやうに努力せよ、 尚総理にも其旨を伝へよとの御言葉があつたので自分は直ぐ総理に話をして最高戦争指導会議構成員会議を開催して欲しいと申入れた。 然るに当日は何か都合の悪い人があつて翌日即九日の朝に其集まりを開くといふことになつた。 ところがその九日の日はロシアの参戦と言ふことが現はれて来た訳です。
(大井)迫水氏からステートメントが出て居りましたが七日の閣議では外務大臣から言葉は婉曲であつたが意味は明確に、 このポツダム宣言を速かに受諾すべきであると言ふことを提案して居られた、斯う言ふことを言つて居りました。
(東郷)それは新しい武器が出来たと言ふことでもつて総て戦争の様相は一変した、 軍隊の方としても戦争を止めるについては割合楽に其理由を説明し得るぢやないか。 又ポツダム宣言と言ふものが提出せられたのであるから之を基礎にして考慮したらよからうと言ふことを言つた訳です。 しかし皆はなかなかそこまでいかんし、それから陸軍の方はさつきも言つた通り、 原子爆弾といふ向うでも言つてゐるけれども自分達は疑ひをもつてゐると云ふことで私の話に賛成しなかつた。 従て調べる方はやめてすぐ戦争終結に決意したらいいと言ふ訳にもいかなかつた。
(大井)The United States Strategic Bombing Survey.には七日の朝総理と外務大臣は相談して天皇にニュースを報告したと書いてあります。 八日の間違かも知れませんが。
(東郷)八日は僕と総理とで拝謁したことはありません。
(大井)On the morning of 7 August Suzuki and Togo conferred and then reported the news to the emperor, stating that this was the time to accept the Potsdam Declaration. The military side still however could not make up their minds to accept it.
となつてゐます。
(東郷)前に述べた八日拝謁前に総理と話しました。それは僕が陛下に申上げたやうなことを鈴木総理にも話した。 陸軍では原子爆弾ではないやうなことを言つてゐるが、外国では盛に斯う言ふことを言つてゐるんだ、 それで事態を速に収拾する必要があると言ふことを総理にも話したんです。その後に宮中に行つた。
(大井)ポツダム・デクラレーシヨンをアクセプトする時期であると言ふことを天皇に申上げた…
(東郷)前から其趣旨のことは申上げた訳ですが、八日にははつきり其れを言上した。 又陛下の方からも如斯新兵器が出て来た以上戦争継続は出来んと言ふことを言はれた。 戦争継続の問題は政戦の方面からの見解の外に大元帥としての陛下は別の見地から御思召があり得る訳であるからかゝる新兵器が出て来た以上戦争の継続が出来んと言はれたことは戦術上から観ても戦争が出来んと言ふ意味だらうと思つて居つた。
(大井)ソヴエートを通じてポツダム・デクラレーシヨンの本当の厳密なる意味をはつきり知りたいと言ふ気持も前にはあつたが、事態は今となつてはそれ所でないと…。
(東郷)それ所ぢやない。だんだん事態は切迫して居つて、斯うやりたいと思つて居つてもそれが出来なくなつてしまつた訳です。 さつきのはソヴエートを通じて明確にすると言ふ意味ばかりではないですよ。 ソヴエートは仲介してゐるんだから、日本が言ふことを一々取次いでくれるのか、或はソヴエートが仲介して日本と米英の代表者が会ふと言ふことになるのか、 その時の成行きなんですから、ソヴエートを通じて明らかにすると言ふ意味とは少し違ふのですね。
(大井)何れにしてもポツダム宣言を受け入れる時期がある訳ですが、ソヴエートが真中にはいつてしまふか、 或はデイレクトにするやうになるか知らんけれども、ポツダム宣言をはつきり基礎に置いて戦争を終ると言ふ訳ですね。
(東郷)さうです。
(大井)それから十三を。
(東郷)十三のソ聯の参戦ですが、九日の夜の明けないうちに外務省の方でラヂオをとつてゐるものゝ方から知らして来たんです。 それはソ聯の宣戦及満洲への侵入に関する報道であつた。 だから自分はすぐ総理を訪ねた。総理は焼け出されて小石川の自分の私邸に居つた訳ですが、 向ふを訪ねて行つた。その時迫水君も来てゐました。 総理に昨日広島の原子爆弾のことから直ぐ最高戦争指導会議の構成員の会議を開いて貰ひたいと言ふことを言つて置いたが、 斯うなつて来るといよいよもつて直に戦争を終結する決定をする必要がある、と言つたところが、私もさう思ふ、直ぐさう言ふことに計らいませうと、 総理は私の言つたことに賛成した訳です。
私は海軍大臣とも打合せして置いた方がいゝと思ふので、外務省に行く途中海軍省によつた。 米内海軍大臣に対し、いよいよはつきり決めなければいかんと言ふことを言つたら、それはさうだと言ふので、すぐ賛成した。 それから高松宮の部屋に行つたが、どうだと言ふお尋に対し自分は事態急変せる今日、国体問題を留保する以外ポツダム宣言をそのまゝ受諾する外ありませんと申上げた。 すると高松宮は、さうだと思ふが、領土の問題について何とかもう少し出来ないだらうかと言ふお話。 私は昨日こゝで説明したやうに、大西洋憲章の関係からするも問題があると思ふ、その辺の話をする目的で連合側と交渉に入りたい為め今まで努力して来たんですが、 もう斯うなつては交渉の余地はないと見るより外ありません。それで領土の問題でも甚だ遺憾ですけれども、今日に於てはこれは持出すことは甚だ困難と思ひます。 しかし機会があれば更に努力することにしませうと言つてお別れした。

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