2015年8月1日土曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(9)

(大井)それでは十一の方を。
(東郷)こちらで色んなことをやつてゐるうちに聯合国三巨頭がポツダムに集まつた。 その集まる前にこちらに講和の意図があることを米英側に知らしめるさうして聯合国側をして無条件降伏ぢやなく、 或る条件の下に講和をすることの話合を進める意向があることを先方に通じたい気持をもつて動いた訳です。 それが十分に進まない間に二十六日にポツダム宣言が出た訳です。 あれを見た私の感想は、日本の今の戦局からして講和条件は結局あゝ言ふ程度のものだらうと言ふことが第一印象でした。 併し昨日一寸お話したやうにカイロ宣言その他の関係もあるんですが、大西洋憲章との関係に矛盾がある。 又日清戦争を侵略戦争と見たところに歴史上の誤謬がある。 又若しソ聯がポツダム宣言に参加する場合には南樺太とか言ふものが問題になる。 そうすると、日露戦争が問題になるんだ。 日露戦争はロシアの侵略政策が大なる原因を為したことはソヴエトの共産党小史の中にも、明かにせられて居る。 即ちソ聯側でも日露戦争と言ふものは元の帝政ロシア政府と日本側の両方の資本主義的活動によつて 満州に於ての闘争から日露戦争になつたと言ふことに解釈して居る訳なんだ。 それを単に日本だけの侵略だと言ふのは甚だおかしなことになるので、 その点について矛盾があるといふことだつた。 第二に自分が受けた印象は、ポツダム宣言の内容と範囲と言ふものが非常に広い訳で、 あれを受諾するにしても其の内容に付て我方の有利に明確にする必要があると言ふことだつた。 だからポツダム宣言を拒絶することは甚だ不得策であるし不利である。 併し一方これをすぐそのまゝ受諾すると言ふのは、今言つた各点をもう少し明確にする為め交渉に入ることを必要とした。 尚ほソ聯の方にも今まで話をしてゐるんだから、その話の成行きも今少し押す必要があると言ふことで、 その趣旨でもつて取扱つた訳です。それで二十七日午前戦争指導会議構成員に今の趣旨でもつて話をして、 之を拒絶すると言ふことは日本として極めて不得策だ、もう少し〔回答を廷し〕得るならば〔延〕した方が得策である。 尚ロシアとの関係もあるから少しこの方を見て処置することが適当だと言ふことに話はついた訳です。 しかしそれで戦争指導会議構成員の中には、 あんなものは駄目だと言ふことをはつきり言つたらいゝと言ふ意見を持ち出した人もありますがさう言ふことは今の日本としてやるべきことではないからして日本の方では何にもこれに意思表示しないでしばらく成行を見ることにしようと決めた。 それから午後に閣議があつたから、その閣議でも同様の話をして結局同様の決定に落着けた訳です。 ところがどう言ふ関連か翌日の新聞に日本政府は黙殺すると言ふ記事が出た。 それで自分は閣議の決定、戦争指導会議の話と言ふのはしばらく意思表示をしないと言ふのだ、 これは黙殺するとは非常に違ふ、とやかましく抗議した。 恰もその日は宮中で閣員と統帥部との情報交換の集まりがある日だつたが、自分は他に急ぎの用があつて、 その会議に行かなかつた。然るにその会議の別室か何かに統帥部と政府の首脳者が集まつて、 軍の方から、総理からこれを黙殺すると言ふことを新聞を通してはつきり言つて欲しいと言ふ注文が又々軍部から出て、 総理はこれを引受けたと言ふことで、新聞記者の共同会見に於て念の入つたことに、 政府はあゝ言ふものは受諾する訳にはいかんこれは黙殺するんだと言つたと言ふことが又大きく出た。 それで僕は、それは閣議の決定を無視する訳だ、総理と雖も閣議の決定を無視し、 又は之に反する訳にはいかないのだと言つて、やかましく言つた訳です。 だから総理も甚だ困つた訳だけれども、今から取消すのは甚だ工合が悪くなると言ふので、 暫くそのまゝにして置くと言ふことに、とうとうしまひになつてしまつたと言ふことを釈明してたことがある。 さう言ふ事情で取扱い方に手違が出来たので、日本としては非常に不利な結果になつた訳です。 日本がポツダム宣言を拒絶した為に広島に原子爆弾を落すと、トルーマンの声明は述べて居るし、 又ロシアの参戦する時に、 ポツダム宣言を日本は拒絶したから自分達は聯合国に加はつて参戦するの已むを得ざるに至つたと言ふことを言つてゐる訳です。 ところが日本政府の方では、 拒絶するとか黙殺するとか言ふ決定をしたことは尠くとも自分の承知する範囲に於てはないことです。 その点は鈴木総理の書いたものにも、 甚だ自分としてまづいことをやつたと言ふことを書いてあるとか言ふことを聞いた。
(大井)「終戦の表情」ですかに、読売の記者が書いたんですが、それは軍部から言はれて自分は已む得ず言つた、 斯う言ふ言ひ方をしてゐる。
(東郷)軍の方で強く言つて、それを承諾したといふ成行らしいのです。 それは特に迫水君からさう言ふ報告が来て居つた。 僕があまりやかましく追及したので仕方なくやつたんだと言ふ釈明があつた訳です。 さうしてゐるうちに広島に、原子爆弾が落ちて来た訳ですね。六日です。
(大井)こゝで一寸先程のカイロ宣言に戻るんですが迫水が言つたと思ひますが、 カイロ宣言といふものはアンコンデイシヨナル サレンダ オブ ジヤパンといふことが書いてある。 今後のポツダム宣言にはアンコンデイシヨナル サレンダ オブ ジヤパニーズ アームド フオーセスと書いてある。 外務大臣はこの点を相当強調されて、今後のポツダム宣言はカイロ宣言の中から、 領土の件はカイロ宣言をとつてゐるけれどもアンコンデイシヨナル サレンダの点についてはあまりとつてゐない。 アンコンデイシヨナル サレンダ オブ ジヤパニーズ アームド フオーセスと言ふことになつてゐると言ふ点を特にピツクアツプして、ポツダム宣言の拒否と言ふことに不賛成を唱へられたと言ふやうな話がありましたが。
(東郷)自分でもさう思つてゐる。カイロ宣言には日本の無条件降伏と言ふ字を使つてあるけれども、 ポツダム宣言には日本軍隊の無条件降伏と言ふ字を使つて、日本の無条件降伏と言ふ字は一つもない訳ですね。 それからその後の八月十四日の向ふの返事にも十三日の公文にも、日本のサレンダーと言ふ字は使つてあるが、 無条件と言ふ字は使つてない。だから日本の降伏といふものは有条件のものであつた。 軍隊ぢやないですよ、日本全体の降伏と言ふものは条件があつた、その条件なるものはポツダム宣言の内容である。 即同宣言に吾人の条件は左の如しと書いてある点から見ても、 日本の講和は無条件降伏に非ずと言ふことになると今でも思つてゐるんです。
(大井)それでやはりその当時もその点は強調されたんですね。
(東郷)さうです。たゞその内容について言へば先程言つたやうに幅の広い文句が多いので随分解釈の余地がある。 従つてポツダム宣言の内容を我方に有利に、もう少し明確にしたいと言ふことが僕の希望であつた。
(大井)その明確にすると言ふことは、どう言ふ外交的な方法でやられたかと言ふ、 どう言ふ手をこれから打たうと言ふことでしたか。
(東郷)それはロシアなんかを通じてニゴーシエイトしなければ出来ない訳です。
(大井)その研究をこれからして見よう、ロシアを通してやるか或はロシアを通してやるにしてもどう言ふ風に、 それらをどう言ふことを聞いてやるかと言つたことを研究しようと言ふことで直ちに受諾も出来ないと言ふ、 斯う言ふ意味ですか。
(東郷)それは無論ロシアを通してやる場合にはさう言ふことも題目になる訳なんだが、 ロシアの方に仲介を頼んであるんでせう、ロシアの方からはつきりいけないと言つては来てない、 こちらの方もモロトフに会つて話をせよと訓電を出してゐる。それでもう少し模様を見る、 その返事が来るまで少くとも待つと言ふやうなことだつた。研究とか何とか言ふ意味ではないのです。
(大井)ロシアの返事の模様を見ると云ふのですか。
(東郷)どうしてこれをやらうとか何とか言ふ内輪の研究ぢやないのですよ。
(大井)内輪の研究ではなく、ロシアとの交渉を続けて、ロシアとの交渉によつてはつきりしようと言ふ。 (東郷)ロシアが仲介を進めるならば、それによつて連合国に対し今言つたやうな問題を持ち出し得る訳です。

0 件のコメント:

コメントを投稿