2015年8月2日日曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(12)

(東郷)…十二日になつて向ふの返事が、分つた。 正式なものは十三日の朝着いたが十二日はラヂオで聞いた。 それで午前中に参内して陛下に申上げて午後に臨時閣議を開いた、 その際又議論が出た。 先方の回答では不十分である。 依而国体擁護に付いて更に申入るると同時に、 先日ドロツプした武装解除及、保証占領の問題を条件として更に持出す必要があると言ふことを軍部の方から申出た。 軍部と言つてもその時は臨時閣議だつたから阿南から申出て来た訳です。 一部の閣員のものにも賛成するものがあつた。 自分は之に対し、先日聯合側に対する留保として皇室の御安泰と言ふ問題のみを出して置きながら、 今日更に別箇の条件を追加するのは甚だ不穏当で聯合側よりすれば日本側に於て話を打壊す底意があるとしか考へられない。 而も九日議論を重ねた挙句、 御聖断によつてさう言ふ問題は出さないことに決つたに係らず此際更に提出せんとすることは御前会議の決定をも無視すると言ふことになる。 又戦争継続は不可なりとの御聖断により処理して来たに係らず、此際多数事項の申入れを為して交渉決裂、 戦争継続に導かんとするは事理に反するもので自分は断固反対だと言ふことでもつて論駁した訳です。 ところが昨日あなた方に木戸が話したと言ふのでつけ加へて申上げますが、 其日閣議で総理がどうした訳か知らんけれども、どうも向ふの返事は十分ではない、と思ふ、 又武装解除を全然向ふの手でやらなければならぬと言ふのは軍人としてはとても承諾は出来ぬ、 こう言ふ事では、戦争を継続してやると言ふことにするより外はありません、と強硬な意見を述べられた。 どうも困つたことを言ひ出されたと思つて、自分は、その問題は余程考へる必要があります。 たゞ戦争を継続して、後はどうにでもなれと言ふ無責任な態度はとりたくない、 戦争を継続して戦争に勝つと言ふ見込がなければ、 交渉成立の方面に進めなければなりません。 と言ふと同時に、正式の返事が来てゐないことを指摘し、 閣議は正式の返事が来てから続けることにした方が適当ではないかと言つて散会に導いたことがあります。
(大井)戦争継続論は閣議の席上ですか。
(東郷)さうです。それで之に対し自分は今述べたことを言つたのですが、閣議終了後自分は直に別室で総理に対し、 あなたの今のお話は納得し兼ねる、この武装解除の問題だつて前に決つた問題だ、 それを今から持ち出すと言ふのは筋違ひだ、ぶつこわしと言ふことにしかならん訳だ。 又其他の問題にしても、戦争に勝つ見込がついてゐなければ強くは出られない。 又陛下の方でも戦争の継続は不可能と考へて居られるに係らずあなたが戦争継続を言はれたことは自分には納得出来ない、 依而私は単独上奏することになるかも知れませぬから左様承知を願ひたいと言つて私はそこを出た。 但し陛下に直接申上げては閣内不統一と言ふことで事態は重大になるそれで木戸にその話をして、 困つたことが出来たんだと言つた。木戸君はその話を昨日した訳でせう。
(大井)武装解除と言はんで国体護持と言つたやうな。
(東郷)その時の閣議の話は、国体護持に関する先方回答も不十分だと言ふことであつたが、 その他武装解除は先方きりでやるのは軍人として承知出来ませんと言ふことを言つてゐた。 二つの問題があつたんですね。それで困つた、と木戸に話した。 陛下にぢかに申上げると角が立つと思ふので…。すると木戸君は陛下のお考は最早はつきり決まつて居るのだから、 鈴木さんに話すことにしようと言ふ訳でした。 その後すぐ木戸君から聞いたんですが、鈴木さんはよく話は分つた、先方の回答通りでいゝと言ふことで、 進むことに話はついた。 陛下の思召と言ふことならば話しの分る人なんだからと言ふことだつた。 その時の僕の進むべき途は、陸海軍の首脳部を説きつけることで、それは大部分成功するが、 ぎりぎりのところに行くと或る点喰違が出来る、これは初めから予想してゐた訳です。 それにしても閣員の大多数は自分の方の味方につける、而も総理が自分の方に賛成する、 それでもつて推して行けると言ふのが僕の大体の作戦なんですね。 ところが総理がグラついては此案は停頓する訳です。 而も僕はどんなことがあつても戦争継続に反対するつもりだつたから、 戦争継続論が強くなつたら閣内の不統一で内閣は辞めなければならぬことになるのだから、 此危急の際に内閣が辞めては時機を失する許りでなく、戦争終結反対の運動も盛んとなり、 国内が大混乱に陥り和平の成立は覚束ないことになる懸念があつた訳です。 従て、その十二日には、危機至れりと感じた訳ですが、その時鈴木さんがどう言ふ気持であゝ言ふ事を言つたのか、 今でも分らんのです。 それから十二日から陸軍の若い方で動いてゐる、陛下を擁してクーデターを行ふと言ふ計画があることをうすうす聞いた。 これより先、七月始めに米内君に和平問題が動き出すと色んな騒ぎが起ると言ふことを予想して置かなくてはならぬ、 お互に生命は初めから投げ出してかゝらなければならぬが、騒ぎが大きくならんやうに手筈をして置く必要がある、 海軍で手筈が出来るかと言つたら、それは横須賀から持つて来ることも出来ると言つた。 又海軍部内にも反対が予想せらるゝが之はどうするかと言つたら反対する者は必要次第陸軍大臣の力で罷免すると言つたことがある。 それで、十二日は形勢が不穏になつた模様があるから米内海軍大臣に対し万一の場合を考慮して貰ふ必要があると申入れた。 それから内務大臣は強硬論者だからあまりあてにならん訳だが町村警視総監は騒ぎがないやうに早く和平を成立せしむるやうにして貰ひたいと松本外務次官に言つて来たので同君の方に連絡をとつて、手筈を整へて置く必要があると言ふことを注意さした。 軍の一部では十二日から十三日の晩あたりに動き出す模様があつた。十四日までが険悪だつたでせう。 しかし幸に大したことはなく治まつた。 私の処にも警察からうんと護衛を増した。そして十四日の晩は宮城で一部の兵隊が騒いだ訳ですが、 大きな騒ぎになり得ない、 不平をもつてゐる分子が動くので僕等に対する危険は続いたが十四日過ぎには全般的に動くクーデターとか大規模の騒擾とか言ふことには時期を逸した感があつた。 後から聞いて見ると、結局の処阿南君もさう言ふ騒ぎには賛成しないで、板挟みになつた訳ですね。 それで本当にクーデターでもあれば、和平問題は飛んでしまふと言ふことになる訳なんだけれども、 今見たいな成行きによつて危機は脱し得た。

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