2015年8月2日日曜日

東郷茂徳陳述録(江藤淳監修『終戦工作の記録』所収)より(13)

(東郷)…それから十四日は第二回の御前会議があつたのです閣員全部及統帥部両総長を御召しになつての会議です。 最高戦争指導会議とは違ふのです。 それに平沼さんは特旨により二度列席せられた。 これはずつと前からの例です。 原議長の時から参列する例になつて居つた訳です。 十二、十三の両日に渉り自分等は議論を尽した訳であるから十四日の御前会議では総理が発言して、 先方回答について、外務大臣は不満足の点はあるけれども大体に於て日本側の主張を入れたものだと言ひ得る。 又此際交渉を継続するも今次回答以上に有利になるものを獲得し得る見込は立たない。 尚保障占領武装解除に関する新条件を提出するときには、 今の国際情勢から見ると皇室の安泰と言ふ問題もどうなるか分らない、 従て此際直にポツダム宣言を受諾した方がいゝと言ふ意見でありまして、 閣議の大多数はそれに賛成して居ります。 それに反対のものが閣員の一部並に統帥部の方にもあります、 それで反対の意見だけこゝでお聴きを願ひたいと奏上した。 反対意見者にだけ陳述せしめやうと言ふのです。 無論陛下の方は閣議及最高戦争指導会議で、どう言ふ筋道でどう言ふ議論があつたといふことは御承知です。 自分もその前に参内して成行きを申上げて置いた。 それで御前会議に於ては反対論者の意見だけを御前会議でもつて述べさした訳です。 右意見の開陳が了つた後陛下は自分のポツダム宣言を受諾すると言ふ決心は前の時とちつとも変はらない。 若し今日受諾しなかつたならば国体も破壊せらるゝし民族も絶滅せらるゝことになる仍而此際は難きを忍んで 受諾する必要がある、外務大臣の意見に賛成である、尚陸軍大臣の話しでは軍の内部に異論があるとの事であるが、 此等のものにもよく分らせるやうにせよ、又自分の志思のある所を明にする為に詔勅を準備せよと言ふお言葉でした。 其後に閣議になつて午後十一時詔勅が発布せられた。
(大井)もう時間も迫つて来ましたが、 その危かつたと言ふ時に阿南大将が辞職しはしないかと言ふ心配はなかつたですか。
(東郷)あつたんですよ。阿南大将は或は辞職するんぢやないか、 内閣倒壊に出るんではないかと言ふ予想がないではなかつた。 それでこれは総理と迫水君もはいつてそんな話が出て、 その場合のことを考へて置く必要があると言ふことを話したことがあるんです。
(大井)さうしますと阿南大将に強く戦争継続論を出されました時にも大した心配はありませんでしたか。
(東郷)私自身は阿南君とは前に言つた通り、屢々各問題に付意見を交換したのであの人の気持は相当分つてゐた。 其頃の阿南君の考へは結局この戦争は継続出来ない条件は相当苛酷なものになるだろうが、 結局容れなければ仕方ないぢやないかと言ふのでした。 併し一方軍の面目と言ふものも考へなくてはいけない地位にあるし、 下の方では強硬な意見を持出し、又劃策してゐるので阿南君は全然耳を貸さない訳にはいかない、 少しは強いことも言はなければならぬ。 併し事実肚の中は相当分つてゐたと私は解釈して居た。 殊に和平促進に就ての陛下の御思召もあつたので内閣倒壊も企てないし又クーデターにも結局賛成しなかつたのだと思ひます。
(大井)さうしますと東郷外相としては阿南さんと色んな話をして、阿南さんの肚の中は分つて居つた訳ですね。
(東郷)内閣倒壊と言ふところまでは行くまい、クーデターにも賛成することはあるまいと言ふことに大体僕は見て居つた訳です。
(大井)そこから自然に動揺したり危機を感じたりする点はあまりなかつた訳ですね。
(東郷)そこまで感じなかつた。危ないことはあつたけれども、何とか切抜け得ると言ふ自信を持つて居つた訳です。
(原)肚は分つて居つたと言ふのは、表面は強いことを言つてゐるけれども本心は弱いと言ふのですか、 それともあの人の終戦にもつて行こうと言ふ本当の気持が分つたと言ふのですか。
(東郷)大体終戦にもつて行かなければならぬと言ふ気持であつたと言ふことです。 さつきも言つた通り、本土上陸をしたら、結局は時の問題になるんだと言ふ僕の意見を卒直に容れた。 そんな話は外にいくらでもあるんで、阿南君は頑迷な考へ方の人ぢやなかつたと言ふことに私は考へる。
(原)自分の本当の気持以上に、部内から圧迫によつて強い意見を言つたと言ふことも若干あつたかも知れないが、 本質として、さう言ふ点がありましたでせうか、色々話をされて見て…。
(東郷)阿南陸相も原則としては和平に賛成して居つたんです。たゞ条件について四条件の提出を主張したのですが、 これも御裁断によつて国体問題に関する留保丈けにした。 最後の段階に於て右留保条件に対する先方回答が不十分だといふのは先づいゝとして、 先きに御前会議に於て提出せざることに決まつた条件迄も提出せよと言ふのは理くつに合はぬことである。 そこいらのところがどうも前の阿南君とは少し違ふと思つた。 即このところが下の方から押されてゐるんぢやないかと言ふ気持をその時僕はもつた。
(大井)それからポツダム宣言を受諾したならば、天皇が退位を要求されると言ふやうな心配はありませんでしたか。
(東郷)僕は寧ろ逆に考へてゐるんです。 当時各国の形勢より見れば日本がポツダム宣言を受諾しないで戦争が継続せられたなら、 退位の問題所か、皇室全般が危険に瀕することになつたのですが、 あのポツダム宣言に関する先方回答に書いてある所より見ても日本政府の形態は日本国民の自由に表明せる意思によりて決定せらるべきものとありますから天皇制を排斥したと言ふのではない。 日本人を知つてゐるものの気持では寧ろ天皇制の存続を認めたと言つても差支ない訳なんですね。 天皇制を認める以上は天皇の現在の地位を認められなくちやならん筈だ。 それでポツダム宣言から言へば今の陛下は其儘に承認せられたと言ふことが言へるんです。 さもなければポツダム宣言及びその後の回答に於ける書き方は変つてゐなければならない筈だと考へる。

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