(…)
この際に、自分はそういう役割をつとめることはいやだ、といって逃げてしまうことは、
真に責任をもって考える人にはできませんでした。緊迫した対外関係を前にして
国を割ることはさけねばならず、また能力のない野心家が代ってその地位をしめたら
全体がどういうことになるか、というおそれもありました。
なにより秩序と平和維持のために努力しなければなりませんでした。
また軍閥の方でも、できるだけ有能で責任感があり対外的にも信用があり国民を
納得させることもできる人を自分の傀儡としたがりました。
(…)
いな、そればかりではありません。
あの当時にあってのもっとも正しい男性的な態度は、むしろ相手の中にとびこんで、
その組織の中からはたらくということでした。―今われらの国は軌道を外れて盲目的に
驀進しつつある汽車のようなものだ。所詮停めることができない汽車ならば、
ただその後尾の客車に坐って不平をいったり蔭口をきいたりしているよりも、
むしろすすんで機関車に入って、無謀な運転手の手をおさえて、車を軌道にのせるべく努力すべきだ。
―これが有効な結果を生みうる、残された唯一の道でした。邪悪なものと協力することによって
全体を救う、これがもっとも良心ある人のなすべきことでした。もしかりに戦争の勃発がふせがれえたとしたら、
それはただこうした人々によってのみなされえたので、手の清い人からそれをのぞむことはできませんでした。
あの条件の下にあっては、もっとも罪なきものであることは、共に罪を犯すことでした!
共犯者となることでした!
そういう人はけっして数は多くなかったが、いたことはたしかにいました。
何とかして平和をつなぎとめるために、商議継続を条件として開戦のおそれのある内閣に入った。
一たんは辞意をいだいたが、「お前がやめれば即自開戦に同意するものが外相となる」
と忠告されて辞意をひるがえした。そして、この地位にとどまって自分の主張をつづけるためには、
「平和的方法が見込みがないことが分ったら開戦に同意する」という原則に譲歩をせざるをえなかった…。
また、はやく平和を結びために戦時内閣に入った…。このようなことは、国際的義務のための努力でこそあれ、
国際的義務に対する違反ではない―、こういうことを洞察してくださったことは、まことに感謝にたえぬことです。
(…)
私はずっと、責任とか應報とかいうことは、ただ個人の良心にのみかかわるべきものだ、と思っていました。
個人は自分の良心にかえりみて咎がなければ、責任や應報を拒否しうべき筈だと思っていました。
しかるに、戦争の体験はそうではないことを教えました。―他人の罪過を贖う。
しかも他人はその人の苦難をしらない。このことは人間が大きな誠意をもってはたらくとき、
ときとしては避けがたいことと思われます。
(…)
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